最近少しずつ日がのびているのを感じて嬉しく思っています。

 気がつくと料理の番組を一日中つけっ放しにしていることがあります。
 相方が出張中に何か取得しておこうかと目論んでいます。サプライズ・プレゼントを作るのは昔から大好き。

 相変わらず本の整理で今日はライマン・フランク・ボームの「オズ」のシリーズを読み返しました。これは自分の世界創作にはバイブル的な存在です。最初に読んだのは小学生の時で、読み返すたびに視点が変わりますが、不思議な魅力を感じる本です。この物語世界とディズニーランドの構造をあわせて考えるのが自分の世界を創作するにおいて土台のようなものになっています。

 昔のように純粋にお伽に夢を見ることはおいて、今読んで感じることでも考えてみようと思う。
 今読んでもオズに興味がつきない理由。

 まず第一に、オズは異次元の世界ではなく、「死の砂漠」で隔てられた地球上のどこかの場所であること。こと、アメリカの近くらしい。
 ドロシーがカンザスの少女であることは、作者が数年間暮らした経験からインスピレーションを得たといわれている。

 次に、話の中に散りばめられた「文明の匂い」とお伽の絶妙なバランス。読んでいくと魔法で作り出されるものが文明品に繋がっていくきらいもある。
インターネットや栄養剤、現代なら魔法でなくても手にしているものもある。

 第3に、オズの国民は夢のような平和な暮らしをしているが(通貨はないし欲しいだけ物がもらえる)、妖精や魔女や魔法の生き物と絶対的な権力の差で隔てられている。権力者達の社交界の暮らしぶり等は物語が書かれた時代が反映されていると思われる。

 時代といえば、オズが気球で現れた時にオズの国の住民が偉大な魔法使いだと思い込むところがある。ふと、いつか航空博物館で目にした昔の記事を思い出した。
 事故でフランスの田舎に無人の気球が不時着したとき、村人達はこの正体不明の飛行物体を魔物と思い込んで散々攻撃した後、村中引き回したという。
 こういうことが実際にあったと思うだけで、現代に暮らす私には物語りのように感じられます。
 
 オズの住民達はどんどん砂漠を越えた他国の文明が進むのを危惧していた。「オズのエメラルドの国」では飛行船も文章に登場していて、「いつか飛行船がもっと沢山飛ぶようになったら、オズは見つかって訪問者が増えてしまう」。
 オズの国の魔法はお伽の国外に出ると効力を失う。彼らは国外では役に立たないことを知っているし、また国外のものもオズでは必要のないことを知っている。
 そしてオズは他国のものには見えない国となり、飛行船が辿り着けない場所となり、永遠のお伽の国となる。

 そこまで考えると、自分にとっての物語は生活や時代から生まれるけれど、現実とは上手くすみ分けないといつか自分の手で壊してしまう気がした。

 オズの周囲は沢山の脅威にさらされていた。文明国だけではなく、強力な妖魔達にも狙われていた。
 そんな中で幸福な世界を守る力に、惹かれるのかも知れない。

 作者は、「今までの血も凍るような教訓つきの童話」から「全くの娯楽に重点をおいた新しい時代の童話」を書いたと記述している。しかしそれは、一見何の関わりもない顔をして、物語には沢山のことが含められていると思う。1919年に亡くなるまでシリーズを14冊書いた。  

 オズの住人達は、永遠の命をもらったことをさほど喜んではいない。「成長する楽しみを失った」と嘆く人もいる。オズの住民は自分達の運命をどう感じているのだろうか。いつも感心するが、この物語には平和ボケしている住民がいない。

 変わらないために守る力と、成長するための力。

 これが多分、オズに興味のつきない大きな理由なのかも知れない。
  

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