DQVの…。

2008年9月16日 趣味
 今年初のバジルの種を収穫しました。
 来年がまた楽しみです。

 ・DS・DQV・

 少しだけネタばれごと。
 どんなに、説明や道理を通す改良が加えられていても、「動物アレルギー」の台詞はどうなんでしょう。

 親思いのしっかり者の子供という解釈なら、主人公に「あなたは大丈夫?」くらい尋ねるでしょう。リアルな台詞を使うならば、そこまでも必要と思います。それまでとても可愛がっていたのに、いざ解放したら急に断って主人公に押しつける展開には、ある種の無責任をかえって感じます。

 むしろ、この場面で重要と思われるのは、主人公にはモンスターがなつく不思議な素養があるという象徴的なシーンであって、わざわざ「動物アレルギー」の理由で飼えないという、中途半端な道徳指導を施す必要があるのかどうか。
 その代わりに、村人達が主人公の不思議な素養について、フォローする台詞が臭わされていますが、…助けた時点でモンスターが主人公に懐くという強調をすれば、十分なのでは。

 「動物アレルギー」が妙に冷めたリアルな台詞なので、周囲の状況をもリアルに考えざるを得ません。今までのDQVをやった者として、こんな一言でビアンカの印象が傾くのが残念です。しっかりしてても、動物への愛情で、飼いたいと言って家族に説明されて断られる方が、子供らしくも感じます。

 神経質な「大人くさい」改良措置が端々に見られることが、DQVの想像の自由度が削られて残念な部分があります。

 良いところは、沢山あります。グラフィックの美麗さは雰囲気十分です(家の天井から下がるランプとか細部までの演出が好き)。お金がより貯まりやすくなり、戦闘もより楽です。

 しかし、一見して、大して拘ることのないような小さな台詞でも、積み重なれば、じわじわと全体の印象を変えてしまうことがあるのですね。 
 自分で創作するときは、気をつけようと思った出来事でした。

 テレビでもよく見かける、「野生」というもの。
 例えば、ツバメが誰かにいじめられていて、怪我はなくて、助けてあげたら、「そのまま自然にかえすべき」ということ。
 リアルにDQVで道徳的指導を施すとしたら、凶暴な野生のモンスターの、キラーパンサーを、助けたら野生にかえすべきでは?

 だから、そういう風に考えなきゃいけなくなる「大人くさい」中途半端な台詞の改変が、さびしい。
 少し毒吐き。

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