久しぶりの帰郷をしました。
東京都側からは、「第34回江戸川区花火大会」と呼ばれるこのイベントは、川を一本渡ると千葉県の「市川市制施行75周年記念 第25回市川市民納涼花火大会」と名称が変わります。
昔は見物客も多くなく、花火の打ち上げ間隔もかなり空いていて、思い出したように花火が鳴るという質素なものでした(これはこれで、一枚の絵のようで風流でした)。
今では、両岸あげての一大イベント。
ひっきりなしに目にも鮮やかな大輪の花が夜空を染め、テーマも分かれているようです。「ナイアガラの滝」の仕掛け花火は今年は巨大な「富士山」を作っていました。
花火の時間までは、実家で母と楽しくお話をしながら庭のお手入れ。
ブルーベリーや苺を摘んで食べたり、ピーマンを収穫したり…。
オリーブの実を探したり、レモングラスの葉をお手入れしたり…。
摘んだシソで、大根とお味噌汁にしたり(とても香りが良くて美味しいです)。
童心に返って夏の恵みを満喫しました。
そして花火は、雲に遮られることなく綺麗に打ち上がりました。
スタンダードに加えて、花型、蛍光色など様々な花火を楽しみました。最近の花火は眩しいのも多いかも…。
花火大会の好きな光景…。
川に浮かぶ、何艘もの屋形船や観光船…。
土手に並ぶ屋台で、嬉しそうにお菓子を受け取る浴衣の子供…。
飛び交うコウモリさえ…。
人混みと一言で括られるけれども、通勤電車や町中の人混みとは違う…。
楽しみを胸に抱え…、大好きな人と歩き…。
懐かしい故郷の地に安らぐ人…、久しぶりの再会に喜ぶ人…。
どの人も寛いで伸び伸びとしている。
そんな眺めも、「花火大会」を彩る風景だとも思うのです。
変わるものと、変わらないもの…。
「目をつむっても歩ける地元」が、「目を開けていても分からない地元」になっていく…。
商店や氷工場もなくなり、後に出来たスーパーまでが郊外型ショッピングの影響で潰れ、印刷工場のあった場所はお菓子のようにカラフルで可愛らしい西洋風の家が建ち並ぶ…。
土手に座っていても、両岸のマンションの明かりが眩しく静寂の暗闇で花火を仰ぐことはない…。
時の移ろいに町は様変わりをしていくけれども、思い出と共に描きこまれた「里心」の地図は変わらない。
花火大会が終わって、帰る頃。
冷めやらぬ人々の想いの陰で、合歓の木が鮮やかな紅の花で夏の夜を彩っていました。
東京都側からは、「第34回江戸川区花火大会」と呼ばれるこのイベントは、川を一本渡ると千葉県の「市川市制施行75周年記念 第25回市川市民納涼花火大会」と名称が変わります。
昔は見物客も多くなく、花火の打ち上げ間隔もかなり空いていて、思い出したように花火が鳴るという質素なものでした(これはこれで、一枚の絵のようで風流でした)。
今では、両岸あげての一大イベント。
ひっきりなしに目にも鮮やかな大輪の花が夜空を染め、テーマも分かれているようです。「ナイアガラの滝」の仕掛け花火は今年は巨大な「富士山」を作っていました。
花火の時間までは、実家で母と楽しくお話をしながら庭のお手入れ。
ブルーベリーや苺を摘んで食べたり、ピーマンを収穫したり…。
オリーブの実を探したり、レモングラスの葉をお手入れしたり…。
摘んだシソで、大根とお味噌汁にしたり(とても香りが良くて美味しいです)。
童心に返って夏の恵みを満喫しました。
そして花火は、雲に遮られることなく綺麗に打ち上がりました。
スタンダードに加えて、花型、蛍光色など様々な花火を楽しみました。最近の花火は眩しいのも多いかも…。
花火大会の好きな光景…。
川に浮かぶ、何艘もの屋形船や観光船…。
土手に並ぶ屋台で、嬉しそうにお菓子を受け取る浴衣の子供…。
飛び交うコウモリさえ…。
人混みと一言で括られるけれども、通勤電車や町中の人混みとは違う…。
楽しみを胸に抱え…、大好きな人と歩き…。
懐かしい故郷の地に安らぐ人…、久しぶりの再会に喜ぶ人…。
どの人も寛いで伸び伸びとしている。
そんな眺めも、「花火大会」を彩る風景だとも思うのです。
変わるものと、変わらないもの…。
「目をつむっても歩ける地元」が、「目を開けていても分からない地元」になっていく…。
商店や氷工場もなくなり、後に出来たスーパーまでが郊外型ショッピングの影響で潰れ、印刷工場のあった場所はお菓子のようにカラフルで可愛らしい西洋風の家が建ち並ぶ…。
土手に座っていても、両岸のマンションの明かりが眩しく静寂の暗闇で花火を仰ぐことはない…。
時の移ろいに町は様変わりをしていくけれども、思い出と共に描きこまれた「里心」の地図は変わらない。
花火大会が終わって、帰る頃。
冷めやらぬ人々の想いの陰で、合歓の木が鮮やかな紅の花で夏の夜を彩っていました。
コメント
すてきな日記、ありがとうございました。
花火大会の、懐かしい音やにおいまで伝わって来るようです。
ありがとうございます。
この日ばかりは童心にかえってしまいます。花火が終わるのを待ちかまえていたように、病院でお留守番の父から「どうだった、どうだった?」と電話がかかってきて、とても賑やかなひとときになりました。