夜になると、強い風が吹き荒れます。
 風向きは、北北西のワルツ…。

 ホットミルクティーで緩やかに温まりながら…。


  ・思い出小箱・

 3歳半のこと…。
 パスポート写真は母の膝の上。
 うさぎの毛皮を着せられて、初めての飛行機に乗りました。
 機内食や、薄暗い機内をうっすらと覚えています。

 仏は、寒波直後でした。
 私が“いつもと違う”から、“違う世界に来たらしい”と気づいたのは、通りに並ぶ、灰色の荘厳な石壁の建物を見たときでした。
 子供心には、絵本にあるお城のイメージで、どこかお伽の国に呼ばれたようにも感じていました。(その頃から夢見がちだったのでしょうか…)。

 魚の鱗模様のような、石畳…。
 空も、建物も、橋も、全てが広く大きく感じましたが、冬の町は灰色でした。
 その灰色の道を走る、転がるクレヨンのような原色の車…。
 
 passyにあるホテルについて、まず始めに印象的だったのは、旧式のエレベーターです。
 重い鉄格子の黒い扉をガチャリと開け、次に木製の乗り物のドアを開けて乗る様式です。その早さはとてもゆっくりで、階段を走り上れば先に着いてしまいます。
(この様式は、今でも使われているところがあるかも知れません)。  
 古めかしくも、良き時代の優美で素朴な形…、上る時の独特な規則正しい音にいつも少しどきどきしていました。

 その次には、スプリングのきいたベッドではしゃいで頭から落ちたこと…☆

 家探しでしばらくホテル住まいをして、16区のSuschetに移り住んだ頃…。

 ある日、子供が沢山いるところに連れて行かれました。
 円卓を囲むように椅子に座って、紙製の花をこさえていました。
 
 そこは、幼稚園。
 4歳で年長さんです。
 私が覚えていた言葉は、“Bonjour”と“Je m’apelle ○○.”、“merci”…。
 (日本にいる頃に、父が教えてくれたもの)

 学校には、様々な国の子供がいました。
 みんな親切で、「milk、これは何て言うの?」とひとつひとつ問いかけてくれて、根気よく言葉を教えてくれました。
 幼稚園の授業は、算数、書き取り、音楽、詩の暗唱(ヴィクトリ・ユーゴの“雪だるま”等)…。
 
 やがて、小学校へとあがり、子供達の間に色々と変化が訪れるのですが…。
 それはまた…。   


 ミルク一杯分の、思い出…。

コメント

Mimi
2010年1月22日6:54

milkさん

思い出小箱の中を、またちょっと見せていただけて、うれしかったです。

わたしの娘と息子が、Ukにやって来たのも、12月の初めでした。
ちょうど4歳と3歳になるところ。
生まれて初めて乗った飛行機に対する二人の反応とか、
突然回路がつながったように、思い出してしまいました。
薄暗い飛行機のなかの、ふたりの瞳の輝きとか…。
どうもありがとう☆

milk
2010年1月22日16:20

Mimiさん☆

私も、MimiさんのDNを拝見して、子を想う親の有り難さについて深く感じ入っていました。

私は、姉が6歳で私が3歳半で、2月に渡仏しました(同じような時期で、すごい偶然だと思ってしまいました☆)。
日本の小学校で日本語の基礎を学んだ姉と違い、まだ未就学の私に日本語をどうするか母はとても苦悩したそうです。(結果として現地校に早く馴染ませるために仏語に絞ったそうです)。
国は違いますが、同じ年頃で、同じような時期にお子さん達が海外生活を始められて…、お子さんもMimiさんも、とても深く支え合って来られたのだと思います。

これからも、少しずつ思い出小箱を書いていきたいと思います…☆

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