静かな場所で、心を動かす。

 その時計の針は、まだ進んではいない。

 扉の向こうは、底なし沼。

 彩られた無数の言葉が弾けては消えていく場所。

 ゆっくりと、足を踏み入れれば、

 足下の影から、ゆらりともう一人の私が起き上がる。

 目を開ける時は、透明な心がいい。

 壊れた詩が、縛ろうとするから。

 無垢な気持ちで、見回すといい。

 綺麗なものも、汚れたものも、きっと、愛することが出来るから。
 
 手にした瞬間に、針が動き出すから。 

彩々。

2007年12月14日 樹羅の囁き
 大切な調べものをしていたはずなのに、気がついたら、『プードルのカット特集』を覗いてしまった。…そんなにバリエーションがあったとは、驚きでした。

 世の中は、誰かのアイデアで溢れている。
 誰かの創ったイメージで溢れている。
 社会のお立ち台でなくても、個々の世界がそちらこちらで毎日産声をあげている。

 自分の世界は、自分の手の内に。
 共存する、現実と想像世界。
 その境界線を渡る鍵は、自分だけが手にするもの。
 微々たる一歩にも、入魂を。
 頑なである必要はない。
 想像は心と表裏一体。
 心の軌跡には、意味がある。

 いつも、訴えたいものがあるわけでもない。
 いつも、伝えたいものがあるわけでもない。
 だけど、譲れないものはある。
 気がつけば、いつでもものを感じ、考えている。
 創作に手を伸ばすとき、想像の甘美な音色が響きだす。
 だから、エッセンスの何もないものは生まれない。

 己の価値を上げず、下げず。
 自分の歩幅で歩ける、唯一の空間を、思う存分楽しみたい。
 技術の向上だけでなく、自分の世界を愛すること。
 好きな気持ちを伝える方が、根気良く頑張れることもある。
 想像の泉という素材を持つこと。
 そこから、理性と情熱が手段を築き上げていく。

 世の中は、目まぐるしく、騒がしいから。
 落ちている、『大好き』を拾って歩こう。

 歩いた先には、私だけの境界線への、『鍵』がある。
 
 何でも、どうせなら、楽しんだもの勝ち。

 心動かされるものがあり、色んな角度から考えられるのなら、それは充実しているということ。
 つまらないとか、面白くないとか、苦しいとか、難しいとか、言う対象が相手や自分に対してでも、沢山思えることがあるのは、摩擦するだけの生活をしているということ。

 たまに、攻撃力も防御力も精神力もゼロになる日がある。
 ゲームなら即オーバーだろうけど、…実際、HPやMPを回復するときは、受動でも能動でもなくなる時間が必要だと思う。
 
 人にも、自分にも何も求めない日がある。

 けれどこんな時に、…創作のエッセンスは降りて来る。
 それも今日は包み込んで、心の安らぎに寝かせたい。
 ぎらぎらした、野獣の瞳を、まだ、閉じたまま。

 刺激に疲れた心が、自然と微笑みを取り戻すまで…。
 もし、全ての動物が、それぞれの種族の間で、一生をかけて何かを創造する習性があったら、どうなのだろう。

 人のように、自分を追求しようとして、作品を創造するだろうか。
 生きるために必要なものが、便利性を兼ね備えた遊び心に移行した製品を、生産するだろうか。
 環境に適応して、変わりつつある、住居や食事が、一旦多種族のものを取り入れた後に、独自の料理に進化するだろうか。

 寿命の長さはそれぞれ違うが、ただ生きるため以上の何かを、一生をかけて全ての動物が創造したらば……。

 こんなことを考えてしまうのも、多分、人間だけ。

 樹羅がわらう……。

 『芸術を追究し、創造することも、あなたにしか分からない、“生きるための何か”である筈……』

 それぞれ、手段も表現も、違うというだけのこと。 
 ならば、何を求めて、考えていたのだろう?

 多分、……分かり合える何かが欲しくて。
 “一生をかける“ということについて、他の生き物に尋ねてみたくて。

 手を休めると、時が止まってしまいそうな気持ちを、振り払いたくて。

通過点。

2007年11月8日 樹羅の囁き
 突然、ドビュッシーが聴けなくなる時がある。
 思索の迷宮に入ってしまうから。
 そんな時は、ジョン・フィールドを弾くことすら、難しい。

 新しいことばかりではなく、古いものから、何かを見つけ出す。
 むしろ、心は遠い異国の足跡に。

 いつが、最高の自分かは、分からない。
 振り返れば、そこは全て通過点。

 取っておくのは、芸術心だけでいい。
 その大樹の果実が朽ち果てようとも、大地を肥やし、また樹木は実を結ぶ。

 根を枯らすような生き方は、したくない。
 育むもの、全ての存在も、忘るることなかれ。

 

硝子。

2007年11月5日 樹羅の囁き
 大正浪漫硝子を、買いました。
 硝子というと、江戸キリコ、薩摩キリコ、バカラ、スワロフスキー、ガレ等々……。
 どれも硝子と呼ばれるのに、風合いが違うので、面白いです。純度や精度やカットが、個性を与えていく。
 
 大正浪漫硝子の、淡い色合いが好き。
 はかなく脆い繊細さに、凛とした佇まいをみせて、上品なフリルの縁は、まるで、物静かなお嬢さんのよう。
 和の硝子は、木の箸やスプーンが良く似合う。
 銀や金のフォークと華やかに着飾らずに、しっとりと使う。
 緩やかな曲線を傷つけない、優しさ。
 時を重ねる楽しみを、教えてくれる。

 そこまでもが、大正浪漫硝子の、美しさ。
 難しいお題に手をつけて、創作をしているので、心が大嵐です。
 それでも、この力こそが、作品に魂を入れ、また成長するに不可欠なものでもあるのでしょう。
 内側から溢れる感情の嵐を、制御しつつ、形づけ、言葉にして、作品に込める。
 制御に失敗すると、…現実にバーストしたくなります。
 近年、忘れていた感情を容赦なく使っていくので、眠っていた脳がたたき起こされる感覚です。こんな脳トレもあるのかと思うほどです。
 日常では、歳と共に自分で振り分けて落ち着くものですが…。

 徹底的に感情が中心の創作をすると、……私の中に眠る、獣が目を覚ます。
 創作の荒野を駆ける獣。
 野の果てまで行き、限界を超えろ…!

潦。

2007年10月30日 樹羅の囁き
 「潦」は、にわたずみと読みます。
 雨で出来た水溜まりの水が、高低差を流れる様を現す言葉です。
 この一瞬を見逃さないところに、日本語の美しさを感じます。

 ・ドールのお話・

 造形村の細筆を手にしてしまうと、もう他のメーカーが買えなくなるほど、使い勝手が良いです。ペンを持つような重心のかけ方が、あっているのでしょうね。
 27?のメイクを頑張った後に気づく。…半光沢とつや消しで描いていました。67?には、つや有りのクリアで済ませていたので、盲点。そういう時に限って、会心の出来で、…泣けてくる。そして、「これはこれで気に入ったから、別のを光沢塗料で描く」という、ロクでもない根性も芽生える。
  
 ・樹羅の囁き・

 感情を一つずつ封印され、…再び取り戻すまでの話しを書いている。これは、昔書いたものの、完全書き直しだけど、…今ならば、とても親密に状況を考えることが出来る。

 忘れる時は、ふと思い出すことが出来る。
 失う時は…、いつ失ったかも、それが何だったかも、分からない。
 忘れた気持ちを取り戻す時は、懐かしささえ伴い、少しだけ怖かったり、或いはこそばゆかったりするもの。
 失った気持ちを取り戻す時は、…むしろ動揺も抵抗もなく、全く他人事のように「この感情は何?」と思う。

 ほんの数年の間に、実際に経験してしまったこと。
 だからこそ、今、自分でもう一度筆を執ろうと思った。
 とても、苦しく、とても、怖いこと。
 様々な登場人物の角度から描く文体でなかったら、今だに触れることすら出来ない。
 全てを取り戻した気持ちは、まだ、私にも分からない。
 何故なら、「全て」は永遠にないから。
 人は、日々どこかで新しい感情を吸収し、また、生み出していると思うから。
  
 ただ、プラス感情もマイナス感情も、どれも欠けてはいけない。これだけは、いつでも心に留めているつもりです。
 もし、毎日、一つずつ感情が失われていくとしたら…。
 最後まで、とっておきたい感情は、何でしょうか。
  

潮風と…。

2007年10月29日 樹羅の囁き
 フェレットがお散歩しているのを、見かけました。
 白い細長い身体をゆったりと動かし、鼻先を動かしながら、地を這うようにして歩いています。
 その先には、……ホットドッグ屋さんが。
 肉食獣の本能でしょうか。

 涼しくなった夜に、ふらりと散歩に出かけた。
 私が行きたいと言うと、自然と彼は「うん」と頷いた。
 二人で、ただ歩く、月夜の道。
 大通りの雑踏にも負けずに響く、虫の音。

 夢を織り、夢に織られ、紡がれる人の道。
 この大自然だけで形造られた空と、アスファルトの道の間を、私は進む……。
 夜の大気を彩るのは、闇に溶けた海の気配。
 私が小さいことを知り、ほっとする。
 私に壁がないことに、ほっとする。
 
 そうして、家路が恋しくなる、散歩道。
  
 遙かな場所へと、想いを馳せる……。

 気紛れな、雨の匂い……。

 穏やかに微笑む草原の淡い緑……。

 誰もいない、バス停を横切る、民家の夕餉の風……。

 空を寸断する、雲と晴れ間の境を埋める、教会の音……。

 長い散歩の間、唄い続ける葦の原……。

 時を動かす、清流の踊り……。

 手を伸ばせば届きそうな、つぐみと二人の時間……。

 樹羅が囁く。

 「風が、時の糸を震わせるだけ……」

 ああ、それで今朝は懐かしく想うのですね。
 あの、UKの景色を……。 
 

プラス?

2007年10月11日 樹羅の囁き
 割れ鍋には必ずとじ蓋があるという、発想の転換。
 ずっと、一人でいる時間。
 それも、悪くない…。

 心が谷底にあるときは、流れていく時を眺めているだけ…。

 隠された、冷たい手触り…。

 時には、そのままでも、構わない。

 日差しが胸を刺す日は、ただ、目を閉じて…。

 両の掌に、…温もりを感じる日まで…。

 その温もりが、痛まない日まで…。

 大空が、目に染みない日まで…。
 銀の枝に、呼ばれる…。

 月明かりを浴びて育った、銀の樹木の枝…。

 心の奥に根ざす、伸びやかな幻想。

 冷たい石の塔から、地平線の光を目指して、飛び立とう。

 銀の枝を、くわえて…。

 樹羅の囁きが聞こえる。
 樹羅の唄が聞こえる…。
 樹羅の枝に小鳥がとまります。やがて、小さな声でさえずり始めました。

 それは、ある夢織り人の口ずさんだ言葉です。
「私、御伽噺の続きがないのは、続きがいらないからだと思っていたわ。夢を見続けていた人が、ある日夢が叶ったら、もうその夢はいらないと思って去って行くようにね。
 王子様を見つけたお姫様は、お話の後も優しさや美しさを持ってお嫁にいくでしょう。賢かったり、動物に親切だったり。
 だけど、もう王子様に会う夢は見ないし、その時の幸せな自分を思い描く必要もないと思うわ。
 そう、幸せな自分を思い描くことを忘れて、やがて求める人に生まれ変わってしまうのよ。
 それは恋でも未来でも、欲しいものを手に入れるたびに、少しずつ失っていくのよ。
 大人になるうちに、何でも現実でなければ満足出来ない夢に変わるの。そして本当の幸せを実感するまで求め続けるようになるの。
 手に入れた喜びと引きかえに、夢の糸はそうして一本ずつ色褪せていってしまう。そのうち、夢を織ることが何だったかも忘れてしまう。満たされない幸せと枯渇する希望の狭間でいつしか苦しむようになるかも知れない。
 
 だけど本当に失われていくのは、夢ではなく優しさなのかも知れない。弱いものが強くあればいいと思うこと。儚いものが永遠であればいいと思うこと。美しいものがより魅力的であればいいと思うこと。そして過去と現実を否定すること。
 何故、そのままを包みこむ強さから目を背けるの?
 彼等は輝きを失ってはいない。
 そして、強いものも弱いものも見える力が心に宿ってこそ、失われた優しさを取り戻すことが出来るのに。

 その優しさを手にしたら、夢の織り方を思いだすことでしょう。幼い頃とはもう模様も色も変わってしまったけれど、鮮やかな、幸せな色になることでしょう。

 私は今日も夢を織るわ。
 幸せな自分を忘れてしまわないように……。」

 小鳥は一時羽根を休めると、うすむらさきに染まりはじめた空へとまた飛んで行きました。
 樹羅は微かに葉を揺らしました。
 「束の間だから、美しく織れる夢も、あるでしょう」
  

休暇中。

2004年3月29日 樹羅の囁き
 ……もう、二度と内視鏡は飲まないって誓ったのに〜。
 あの短時間で写真撮れた先生も凄いと思う。喉に親指を突っ込まれたような感触が抜けません。

 白粥と野菜スープの日々。けれど窓の外は眩しい程の桜。春の陽気で心が温かくなります。

 温かいといえばヒナの里親さんで良い出会いがあったことです。今日ほどネットの存在に感謝したことはないと思います。幸せになるんだぞ、ルル(ヒナの名)。早く風切り羽が生えてくるといいね。

 全員集合してくれた家族のみんなにはこの場で感謝します。皆のお陰で目だけは食欲を取り戻してくれました。目の前で皆美味しそうなものばっかり食べるんだもん、うっうっ……。

 程よく麻酔が抜けないことだし、春だし、気楽に神経をほぐすことにしましょう。転がってメルヘンの少女漫画を読んでいたら、枠や型がないのもいいなと思いました。背景がUKを参考にしているらしく、懐かしかった。

 樹羅も今日は涼しげに葉を揺らしています。

 「両手に、強い光を。
 闇が目に沁みる時がきた。
 光の柔らかさに抱かれ、体の中から力を呼び覚まそう。

 何故、不幸を語る。
 何故、勇気を欲しがる。
 何故、刹那を求める。
 何故、力を知りたがる。
 何故、感情を高ぶらせる。
 何故、生きることを感じたがる。

 指先に風を感じる。
 春の来る方から……。」

 目を開ければそこいら中が生きる輝きに満ちている。
 それはどんな光よりも眩しい。
 樹羅の下で眠る人。

 シフォンケーキのクッションにダイビングして頬ずりしたい日。

 時には頭がマシュマロでいたいのです。
 生活の空洞化って、虚しい。
 今の私を見ると、外や他人の情報は流れてくるけれど、自分の歴史は創られていない。
 医療費で消える生活費。四方に下ろされる貧乏のシャッターは厚い。
 私が「ゼロ」になったとき、残るものは何でしょう。
 体調悪い時は「生きる」しか考えられなかった。
 心が元気になると「感性を吸い込む」ことに走る。
 健康だったら「創作三昧」に走る。
 だけど、上の三つは箱の中では出来ないこと。
 「受ける→感じる→考える→投げる」
 存在のキャッチボール。
 でも。私は。
 私自身の物語は進んだことにならない。
 健康になったら、焦らず、時を待たなければ。

 だから、今はシフォンケーキの星。
 甘い、優しい、空洞な夢を見る。

 「目が覚めたら、また旅に出て行くんだね」
 樹羅は静かに佇むだけ……。
 

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