相方に「桃太郎」の話をしていて、「…山はお爺さんにシバカれに(略)」と言ってしまった人です。国語能力は今日はもう閉店したらしい。

家でぬくぬくしながら、クリスマスカードを書かないとなあ(年賀状も兼ねているから)と思いつつ、年の瀬になるとほんわりしてきます。

 じっくりしつつ解放されたい感じ。自分の一年を整理しようとしているのかな。

 まだ早いけど振り返ってみる。こっちに留学できると分かったのはテレビと机を買い換えたばかりの春だった(泣)。

 会社の辞令が降りて出発日がいつか分かってから、1週間で96個のダンボール詰めしたのは、我ながら奇跡だったと思う。家族の力無くしてはとても無理でしたね。感謝です。

 イギリス来て1ヶ月B&B暮らし。ホテルより安いのは救いだけど…。毎日同じ朝食をよく飽きもせずに食べ続けたなあ。

 秋になって相方の事故…。初めて救急車に乗りました。相方の骨折姿はかなり心臓に悪かったけど、それより深夜の緊急病院の方が迫力あったなあ。皆ひどい怪我姿なのに和気藹々。おまけに病院のテレビはホラーやってるし。かえって怖さを忘れちゃった。

 落ち着いた頃ツクールを手にしてから、生活が一気に輝きを取り戻したと思う。恐らく結婚してから初めて、結婚前の勢いに近づいたと思う。私にとって結婚は人生の大きなハードルでした。でも、もう大丈夫。頑張れる。

 …あっという間でしたね。たまにはこうやって振り返るのもいい。わくわくすること、がっくりすること、まさに人生は冒険。  
 
 いつもと違う、ただの自分。まさにただの日記。でもこれは時間の足跡。

 今日はリスのドット絵を某チャットの皆様に見て頂いてちょっと緊張。自分の見えないところ&言葉にならないところを指摘されるのは良いものです。本当にありがとうございました。

 

今は今。

2002年12月19日
 最近PCに妙な悪戯が現れる。MSNメッセンジャーを通して、妙なクリック画像を送りつけるという新手の手口らしい。

 悪戯電話のような確立で当たるらしいのだが、マイクロソフト、ちゃんと対策立ててよー!ウィルスかと思ってスキャンするのに滅茶時間がかかったじゃないのー!…ウィルスではないようです。

 今年も残すところ後ちょっとですね。お歳暮もどきの買出しでわらわらしています。この時期はクリスマスギフトセットで綺麗なお菓子が沢山売られています。強力な誘惑に負けて、ケーキとチョコレートを買ってしまいました。
 ああ、この幸せがこわい…。

 「全関節フル稼働式のリス」が欲しいこの頃。色んなポーズを描いてみる。取材したのが冬だったせいか、リスが太っているような…。
 キタリスを参考にしているので、頭と腕と尻尾が茶色、それ以外は灰色。ドット絵でスケッチしたら凄く楽しい。今度は漫画チックにキャラ化させたのを色々描いてみよう。

 RPGツクール2003の話を聴いていると、当分買わないでバグ修正がでたらにしようかなと思う。ま、今の私には2000を使いこなす方が先ですからね。

 何だか本当に徒然日記になってしまいましたが、こんな日があってもいいかな。曲にだって「緩急」があります。力を抜く日だって必要。

 しかし、読む本沢山あって嬉しいな。18〜20世紀の初頭を使って小説・ゲームを作るのが昔からの夢なので、長い目で研究を続けよう。

「天秤」

2002年12月18日
 花を買って家中に飾ってまわりました。花を見ていると明るくて優しい気持ちになれますね。

 この何ヶ月かイギリスでもニュースで暗い話が多かったですね。事件とかテロとか。それだけでも心が痛いのに、平気で死体を映すから、衝撃が強すぎてご飯が喉を通らないこともあります。

 ファンタジーを手がけている私も、さすがに仮想でも剣を振るうことが辛くなることがあります。あの光景が脳裏に蘇るから。

 そんなわけで詩的童話要素のゲームを作ろうと勉強中です。「遊ぶ」というか「戯れる」というか。そういう感覚でプレイできるゲームを考えています。媚びるのは嫌なので、「安心できる要素」を考えたい。

 平和ボケしたいわけでもありません。自然な感情の発露をどうやって促すのか、文章と違うので興味があるのです。

 ある程度まとまっているけど、表現するための技術の道のりは長い。まだ未熟だし、気がつかないことが沢山あると思う。勉強中は不言実行が一番だけど、大きな夢としてはやはり音楽にも情景にも感じてもらえる作品ができたらいいな。

 けれど私の心の中には「天秤」がある。創作において「童話」と「修羅」のバランスを司るもの。どちらか片方に長く依存すると心に歪みが生まれる。

 なのでファンタジーから離れることはないのですけどね。

 ただ、「慈しみ」を織り込んでいきたい。

夢に思う。

2002年12月17日
 テレビで聞くところによると、レンガ建築というのは角に弱いらしい。角に穴を掘り、そこに火をつけると一発で建物が崩壊するらしい。
 どうしてそうなるのかは分からなかったが、城攻めなどにも活用されたらしいです。

 心に波があるせいだろうか。自分に厳しい時と甘い時の差があるせいだろうか。

 いつの間にか忍び寄る孤独に知らない間に支配されるからだろうか。時々、思う。今、自分がここで生きていること、何をしているかとか、世界中の誰も知らない時間を独りで過ごしていると感じる時がある。

 何かを取得する時に必ずついて来る、心細さが生んだ心の隙なのかも知れない。考えることが出来ないくらい無心になりたい。

 ピアノで越えられない課題にぶつかることがある。テクニックもそうだが、表現の悩みになると模範解答など存在しない世界だ。誰かが答えをくれるわけではない。聴いた人間に「違う」と言われても「じゃあ弾いて見せて」ということは出来ない。自分の音で自分の表現で曲の意図するものに近づかなければならない。

 夢中で何時間も弾き続けていつしか無心になる。絶望で力無い音、悔しさと怒りで力の入った音、それがいつの間にか何も考えられなくなっている。自分はひょっとして朦朧としているのかと思う。

 けれどそれは指が完全に自分の道具になる瞬間。心が音と一体化する瞬間。心が音楽に応え、音楽が心に応える瞬間。思った通りの音が奏でられる瞬間。

 ここまで上るのはいつも辛い。理論や理性だけでは器用さで終わってしまうかも知れない。
不安が心を支配していたら上れない。

 強い心が欲しいと思う。才能が欲しいと思う。孤独なんか知らないでいたい。

 でも、私はこの心の隙でさえも糧にする。こんなことを叫ぶ自分に、自分の力で越えられることを教えてやりたくなる。非力だと思う自分に、昔親言われた「そういうことは死ぬ気でやってから言え」という言葉の意味を教えてやりたくなる。

 私は自分と戦う。勝ってみせる。 
 「飛んでいるカモメの脚はバターナイフ」
…すみません。深い意味はありません。

 ふー。やっと今日になりました。朝から一日中雨がパラパラ降っていましたが、私はすっかり元気!今日は「本屋街巡り」をしました。

 まあ、英語でも気長〜に読めば、いつかは読み終わるさ、あはは(おい)。ということで。収穫は「ヴィクトリア時代の鉄道」(ここには家族旅行の歴史がある)「グランド・ツアーに行った女性達」「ヴィクトリア時代の生活スタイル」「17世紀からの女性旅行者」でした。

 好きこそものの…ですね。順を追って美術や建築にも入りたいですね。その時のコンセプトによって読み物は変わりますが、最終的には「エレガントの要素」ににじり寄りたいわけです。万博とか面白いことが沢山ある時代ですからね。色々知りたいことはまだまだあります。

 やっと日本レストランに入れました。なのに!絶対お刺身食べようと思ってたのに〜。外は寒い雨。体が冷え切った私はソースカツ丼を食べてしまった…。カツなんて家で衣つけて揚げればいいのに〜!あああ、私の馬鹿馬鹿(TT)
 
 という旅行もやっと終わって家路。やはり家が一番ほっとしますね。
 熱のピークは漸く過ぎて、「本が買えるチャンス」に気力を燃やして1泊2日でロンドンに行ってきました。

 ついでにかねてから見たかったケンジントン宮殿の内部と「ウェディングドレス展」を見に行きました。

 ケンジントン公園内のリスはとても元気。冬眠せずに観光客にナッツをもらってまるまる太り、ナッツをかじる音が聞こえるくらい近くにいても平気です。うう…愛らしい。

 ケンジントン宮殿の中は専用のガイドレコーダー(英語)を聴きながら順路に沿って歩きます。一言で言うと、エリザベスやヴィクトリアの時代それぞれの特徴がはっきりと分かれており、私はヴィクトリア時代が好きなのですが、想像に違わず自然を取り入れた優雅で可愛らしい、エレガントな部屋でした。

 歴代の女王のウェディングドレスはまさに伝統と技術の集結で素晴らしかったです。服飾関係は色んな立場の人達の服も展示してあり、特に男の人の服装は興味深かったです。よくある宮廷の服ですが、…あんなに重ねていたんですねぇ。

 靴などは踵はぺったんこ。土踏まずもなく、爪先は三角形。昔は男の人も外反母趾?と思いました。

 宮殿の後は科学博物館に行きました。そこはありとあらゆる発明の課程が特に18世紀から分かるようにまとめられています。

 偶然、以前日記に「ピクチャレスク・ツアー」で使われていたという「クロード・グラス」を見つけました。掌サイズのセピア色の鏡です。これは、気に入った風景を見つけたら後ろを向き、色鏡の中に「絵」として風景をおさめ、それをスケッチや詩にするという風に使われていました。…手間かけてますね。

 書きたいことは沢山あるけど長ーくなる予感。この辺にしておきます。

 今ここにある現在は、沢山の人間の試行錯誤と努力から積み上げられてきたということを、つくづく実感しました。
 

冬空の心

2002年12月14日
 熱がなかなかひかず、ベッドを脱走しては机でへばり、そしてこっそり日記を書く。筆をとるのは喜び。そして喜びは百薬の長。病は気から、です。

 天気予報によると今日は「WINTRY」の日だそうです。「冬らしい」とか「冬空の」とかいう意味です。私はこの可愛らしい音が気に入っていますが、イギリスのあまり変化のないどんよりした毎日の中で、「どの辺」が「今日はWINTRY」なのか外に出てみました(脱走)。

 空は厚い雲に閉ざされ、冷たいパラパラ雨。遠くを見やれば町や林が濃い霧に覆われている。日本のように悴んだりはしませんが、やわらかく冷たい東風が、いつの間にか骨まで冷やすのです。

 静かな冷気。詩情豊かな景観でした。車や人の騒音とは違いますよ。これが、「WINTRY」なのです。例えば雪の降った夜にふと感じる、独特の静けさと似ているかも知れませんね。

 いつの間にか姿を見なくなった鳥の行方や、冬眠している動物達、寒さにも関わらず元気に走り回っているであろう散歩の犬。

 そんなことを考えていると楽しくなります。なので、冬空は意外と好きなのです。

 そしてこんな日は、家の灯りや人が温かく感じますね。
 
 熱が下がらなくて拗ね気味の私に、夫がクリスマスツリーを買ってきてくれました。

 クリスマスツリー。冬ってやっぱりいいな。

追記:途切れたと思う道がそこにあった時は、嬉しいですね。それが人の作った道でも、自らの力で作った道でも。
 

リス沸騰中。

2002年12月13日
 やっぱり熱が下がらない。それどころか上昇中。こんな時でも筆をとるのは、こんな時だから書けるものを自分で見たいからだ。

 以下、どんなものでもお気になさらないように。「熱」で頭がおかしくなったとでも。

「ふみゅ〜。熱で体が痺れるよ〜。おねーたん、名古屋に行ったんだね。わらじ味噌カツ食べたのかー。味噌土手鍋凄く美味しそうだね。

 話は変わるけど、人から「面白くない」と言われて創作自体をやめちゃう人に怒りを感じますね。いっそナルシストな自信で人を巻き込む勢いの方が方向は違うがいつか洗練される可能性があると思えるな。聴く耳は勿論大事だけどもっと自分を愛しましょう。

 うーん。空を飛んでいるようだ。体がふんわりしている。むしろ普段より動きやすい。体が冷えないからかな。…酔うところなんか乗り物にのっているみたい。目が回ってきたー。」

 …誰だ、これは?!…もういい。寝る〜。
 

まさに冬眠。

2002年12月12日
 暖房が壊れた騒ぎに加え、連日の徹夜で体調不良です。いけないなぁと思ってベッドに入ると「これでもか」と言うばかりに夢のオールナイトショー。

 それで結局また机に座って本を読むなりツクールするなり。うーん、少し生活変えないと。

 心を解き放ってみる。深い青い空が見たい。初夏の風を頬に受けながら、森の中、湖の前のベンチにでも座って、のんびりと木の葉ずれの音を耳に、何もしないで過ぎる時間。

 …やっぱりフランスに帰ろうかな。私には「あの場所」が必要らしい。冬でもいい。「あの場所」に帰って、「あの時間」を過ごし、「私」を取り戻したい。

 子供の時も、大人になってからも、何度もその場所に足を運んでは、森に深く抱かれ、そして「私」と出会って来た…。

 夢の中でもいいから、森に帰りたい…。

 うーん、やっぱり熱がある。これなら、眠れるかな。寝よう。

やどかり

2002年12月11日
 暖房が弱々しいながらも温風がでるようになった。お天気も味方してくれて、珍しい冬の真横の気温等高線!…最高気温が0度までしか上がらないー。

 こんな寒い日は心を遊ばせましょう。以下「やどかり」を「彼」と呼ぶ。

 彼はお気に入りの巻貝を選んでは宿にする。
 時には、貝でないものも宿にする。

 他の者から「不似合い」とか「考えなし」とか言われることもある。

 彼はある日突然、数多の巻貝にかつて別の生命が宿っていたことに気づく。

 哀愁のやどかり。脱皮の成長過程で巻貝を変えなければならない。外敵から身を守るために巻貝に入らなければならない。使うべくして生まれたのだ。

 その事情を理解されようがしまいが、彼は巻貝を宿にしなければならない。

 そんな中、やどかり同士の間で巻貝のセンスについて討論があった。

 彼は巻貝は「自分」でないと主張する。己というものはこの頼りない赤い身体なのだと。

 仲間が言った。「君はどんな巻貝をまとっている相手でも、真意を推し量ることが出来るのかね?」

 さて、これを「巻貝」=「言葉という記号」に置き換えてみる。
 やみくもに当てはめると大変なことになる。
 
 努力は分かるがまるで意味の分からない翻訳書。原文がシリアスなのにギャグ口調で訳された小説。世の中にはシャーロックホームズを関西弁で訳した本もある。(関西の人すみません)

 こうなると「2CH用語の国会答弁が見たい」とさえ思えてくる。
 何やら日本国家と共に私という人間の崩壊音が聞こえてきそうなので、やめておく。
 
 シリアスに「彼」を自分の人生に置き換えてみよう。

 この討論の行方を知るは、胸の内。

 「やどかり」君達の一匹が挙手。

 「君達は巻貝がどんな奴だったか知った方がいいかも知れない。」

 さて、上記の冗談のような本に現実に出会ったら、原作者はともかく翻訳者の真意をどう推し量りますか?

ふみゅ。冬眠中。

2002年12月10日
 暖房が壊れた。今晩も−7度なのにー。リスになってふかふかの尻尾に顔を埋めて冬眠したい。

 仕方なく毛布とお茶で温まりながら、この状況を楽しむべく、思いを巡らせてみる。

 最近、興味があるのは旅行文化だ。イギリスなどは鉄道開発に伴う海浜リゾートの発展などを研究するのもいいだろう。
 18世紀のことに思いを馳せてみよう。

 「ピクチャレスク」というのがある。簡単に言えば「絵のような」風景だ。

 18世紀当時は、貴族の御曹司がヨーロッパを遊学する「グランド・ツア」というのが盛んだった。その頃まで自然というのは畏怖と脅威の存在であり、山などは「自然の病と恥」とまで言われていた。「グランド・ツア」の最終目的地は古典古代文化の中心イタリアであり、その山越えの体験などが如実に物語っている。

 彼らはイタリアで歴史的・神話的古典絵画を買い漁り、自国に持って帰った。やがて、自然を「畏怖」から「崇高」の目で見る思想が広まっていく。

 その意識変化の中で彼らが自然を見つめる際に絵画を参考にした旅が「ピクチャレスク・ツアー」となる。しかし「崇高」に近いが、意味合いはもっと人工的な要素を含んでいる。神話を取り入れた風景庭園なんかまさにそれだ。

 …長くなるといけないのでこのくらいにしておく。非常に興味深いが、実際に目にすると、いささか奇妙な光景だ。公園の中に懐古趣味的なモニュメントや噴水がひっそりと顔を覗かせている。

 この「ピクチャレスク」と真っ向から対峙したワーズワースは、一日16?は歩いていたという。18世紀後半になると、徒歩の旅人は白い目で見られる時代だ。宿に泊まらせてもらえないことだってある。

 この寒い晩はどうしていたのだろう…。

 いけない、やっぱり寒い話になった。

 やっぱり、リスになって冬眠するのが一番。
 
 暖房早く直れ〜。 

「一歩ずつ」

2002年12月9日
 気温がとうとう−7度に突入。我が目を疑ってしまいました。さすがにフランスよりも北だけあって下がり方が大きいですね。
 
 昨日の「何故北と西の方が暖かいのか?」という疑問は無事解決しました。よく考えれば西には暖流であるメキシコ湾流があります。加えて、この国は気温等高線が夏は真横、冬は縦になるので、その結果北と西は冬暖かい。
 
 私の家の前は北海が流れています。まさに東…。どこまで気温が下がるのでしょうね。

 「イギリスの料理と歴史」の本によれば、この気候型は氷河期の後BC5500に確立されたとか。英語で辞書引いていると日頃うっかりしていることが分かりますね。スーパーで「lime」のお茶とあって、ライム?と思っていると(柑橘系のお茶が多いから)実は菩提樹だったり。

 しかしこの本…なかなか食べ物の話に辿り着かない。

 いやいや「千里の道も一歩から」です。決して「2歩進んで3歩下がって」はいけません。

 これを思えばツクールも…。蟻がピラミッドを登るようでも…。下手の横好きであろうとも…。
 自分にとっては愛すべきものでありたいですね。大学の時、友達と「過去形にしない」という約束を胸に少しずつここまで来ました。

 何かを取得するには精神的な苦しみから逃れることは出来ない。臆病もプレッシャーも不安も苛立ちも悲しみも。時間すらも。

 けれども何かを取得することは同時に精神を鍛えることだとも思う。精神を鍛えるのに早いとか遅いとかあるだろうか?
 
 そういった夢や希望で飾られない内なる自分が勇気を与えてくれます。綺麗に語れば、夢を叶える力を。知識の喜びを。センスの向上を。

 時間に拘束されようともその「一歩」をこれからも大事にしたいですね。歩が遅くても。 

テレビの「作文」

2002年12月8日
 コルチェスターは最近夜になるとマイナスが続き、日中の最高気温も3度と随分寒さが身に染みてくるようになりました。家で暖房つけても中々暖まりません。

 昨日、今日とテレビでなかなか興味深いものを見ました。昨日はアメリカ女優ウィノナ・ライダーの裁判中継。今日はスペースシャトルの着陸中継です。

 どちらも映画でしか目にしたことがなく、まじまじと展開を追っていました。裁判は予想通り女優が憤慨。裁判はドロドロしているから疲れますねー。

 シャトルの着陸は感動でした。機体の後ろから降下してきたと思ったら、今度は綺麗に滑空を始めます。シャトル内のコクピットからも映し、段々地面が近づいて来る様子は本当にドキドキしました。生中継だと特に「がんばれ」とかつい応援してしまいます。

 そしてついさっき天気予報をやってました。
ここのお天気表現もなかなか面白い。お気に入りは「ICY RAIN」「PATCHY RAIN」「ICY FOG」。冷たい雨、パラパラ雨、冷たい霧。

 独特だと思うのはこの真ん中のPATCHY RAINです。本当にパラパラ雨で、何が面白いかというと、「命中しない」雨なんです。外を歩いていても濡れない。でも降ってる。傘をさす気なんか全然起こりません。まさに「ツギハギ」らしいですね。

 しかし、この天気予報。「んっ?!」と思うことが…。おいおい。北に行くほど暖かくなってるぞ?!東アングリアのうちよりも、何で北のアイルランド・スコットランドの方が3度も高いんだ?!

 ……これ、あっているんでしょうか。

 何故そうなるのか気になって眠れないぞー。
 

コーヒー一杯

2002年12月7日
 最近日記の内容が微妙にインサイドになってきた気がする。
 久し振りにコーヒーを入れたが、グッときたのでミルクをいれた。ふにゃの自分に気合の一杯。

 ウンチクの一つでも語れればいいが、活字をあまり目に触れられないと語彙が乏しいなぁ。そもそも人間の厚みに問題がありますが。

 「薔薇の下で」という言葉がある。むかし昔の言葉。ある童話で、こういう話がある。
 あるところに恋人達がいた。若者は無類の本好きで、娘に自分の本を貸してはその本の内容を語って楽しんでいた。恥ずかしそうにぽつりと答える娘に、若者はとても満足していた。
  ある日、若者は分厚い本を持ってくる。例によって貸してやり、何日か経って娘に聞く。
 
 「あの本、読んでくれたかい?」
 「面白かったわ」
 「実は、君にずっと言いたいことがあったん  だ。結婚しよう」
 「嬉しい!」
 「これは僕と君が(薔薇の下で)話したこと  だよ」

 娘は嬉しくなって婚約したことを友達みんなに言ってまわる。
 ところが、それを知った若者は、婚約破棄を言い渡す。娘が訳も分からず悲しんでいると、若者が言う。
 「僕は君の言葉を信じることが出来なくなっ た。知りたければ、本当に本を読むんだ」
 去ってしまった若者に、娘が泣きながら本を
読むと、そこに(薔薇の下で)という言葉がある。
 ローマ時代の言葉で、心から信じる者同士が固い約束をする時に使う「絶対に秘密」という意味だったのだ。

 嘘はいけませんな。好かれたい一心だった娘にも同情はするけど。更に読んでも忘れることだって、最近なんか(略)。

 いや、今思っているのは別のことです。(薔薇の下で)=「絶対に秘密」なんて洒落ていますね。こういう語法センスで何か書きたいものです。

 それにしても本一冊で化けの皮が剥れて不信。怖い話だ。

「いっぱい」の日

2002年12月6日
 夢が一杯詰まったおもちゃ箱がひっくり返る。ガラス玉とか押し花とかぬいぐるみとか、それらが一斉に転がりながら目の中に広がっていく。

 一望すると散らかった部屋。もう一回見るとこんなものいるの?片付けようかな。
 
 手を触れる。…何か懐かしいな。

 箱にしまおうとする。…これ、どんな風にしたら面白いかな。

 「私の頭の中」です。今は箱にしまい切れないほど溢れています。

 ゲーム完成間近にして、既に次作への夢が膨らみ、それに伴って学ぶこと、或いは物を書くこと、全てに希望に胸を膨らませている。

 次作にトライするのは徹底的に童話で「癒し」だから考えるだけで癒されているのかも知れないけど。

 恐らくそのために学ぶものを一つ一つじっくりやった時、「がっかり」とか「頭痛い」とかあるだろう。けれどピアノをやってもよくあるが、「もうやめてやる〜」と自分に叫ばせた途端、「途中でやめるのが大嫌いな」自分が頭をもたげて、いつの間にか雑念を払い落としていく。余分な力が抜けた時、ハードルを越えていける。

 そしてそんな自分にあった時、夢を改めておもちゃ箱にしまって、1つずつゆっくりだして楽しむ。

 
 
 

メトロノーム

2002年12月5日
 metoronome。音楽の演奏の早さを決めるための、振り子の器械。

 いつか、童話作家の教授が「バランス感覚があると大物になれないよ」と言っていた。

 さだまさしのコンサートに行ったことがある。そのトークの中で、「僕は鬱と陽気のメトロノームを持っている」と言っていた。
 そしてその振りが「ゆっくり」な人は普通の人。「猛スピード」は病院に行きましょう、とか。

 あれは笑い話のついでだったけど、私には意味の深さを思って笑えない。

 日常は「ゆっくり」創作は「スピード」。
心の中に沢山の人が住み、沢山の自分があり、それを次々とこの指先から繰り出す。自分のメトロノームは止まらない。

 「バランス感覚」はどうだろう。「バランス」をとることは一見器用な人間の代名詞のようだが、感じるものを感じないで歩くことにもなるかも知れない。しかしもともと人は皆不器用だと思うし、一日を無事切り抜けることが「バランスをとった」ことにしているのかも知れない。

 その意味では綱渡りをしている自分がいる。

 「メトロノームの速さ」と「バランス感覚」の話はよく似ている。

 気になりながらも解けない自分。心という世界の緯度と経度のような関係。

 結論が出ないなら書くな、と思われるでしょう。しかしこの謎かけに迷い込むと考察せずにはいられない。

 創作して沢山の人格を内に抱えると、「どんな自分でいたいんだ?」という疑問と共にこの謎かけがやってくる…。  

「徒然」な日

2002年12月4日
 今日はだるい。言葉も上手くみつからない。創作をするとよくあることだ。全てを注いだ後の脱力感というだろうか。

 テレビで「Fame Academy」という番組をやっている。何人かのオーディションを通過した歌手志望者達が、一つの館に住んで、その生活やレッスンの模様を放送する。そして、一週間に一度、発表ステージ番組が組まれ、一般投票、審査員投票で勝ち抜き、最下位2人は一緒に勉強した仲間達によって選ばれるという容赦ないものだ。そうして、毎週1人ずつ落とされていく。
 何やらどっかの国の番組を色々混ぜ合わせたような企画だが、見ていると感心する。

 気力・体力ともにすごいバイタリティーだ。メニューは歌のレッスン以外にも体力トレーニングや余興が組まれ、しかも始終カメラに映されている。寝室も何も筒抜けの生活。
 スター性を養うためにここまでやるのか。

 だが本当に感心したことは、その表情豊かな生活ぶりだ。屈託のない笑い、しっかりした発言、素直な感性。時折見せる厳しい眼差し。それが彼らの歌いっぷりにそのまま表れている。

 沢山の感情を日々持ち合わすことは、精神的に大変だ。しかし、日々沢山の感情を経験していることは、それだけ自己発信した時に伝えられるものが豊かだ。

 書いている側からだるい…。
 だが心は充分潤った。
 
 頭や口に頼りがちな自分。そういえば、「猫のお茶会」にこういう言葉もあった。

 「本物は綺麗だ。綺麗で気持ちが良い」

 素直な感情に触れている時、気持ちが良い。

今日の日記

2002年12月3日
 一日が早い。ことに年末に近づくと時間が加速しますね。最近個人日記の方が停滞気味。
 代わりにこちらの日記の口調が微妙に軽くなっている気がします。

 彼(夫)は論文。私は創作。それぞれ部屋に入って打ち込んでいると、何やら中学の同級生に戻ったみたいですね。思えばお互いなんて一途に歩んできたのかなーと。珍しく自分の恋愛を振り返ってみたりして。
 年頃に全然浮気もせず、悩んだことはあるけどほぼ一直線でゴールイン。悩みったって甘えてる自分に厳しくしなきゃ、くらいなもの。
 遠距離恋愛も何のその。むしろ結婚して近くなってからの方が色々思うことが出てきたりして。
 
 お互いに正反対なタイプなのに、根本的な思考が似ているせいでしょうかね。楽天的というか。私の気づかないところでさりげなくフォローしてくれる、心の広い夫に感謝です。
 いつになく持ち上げてみたりして。
 これじゃただのノロケだね。

 まー、もはや幼馴染だから何の気も使わなくていいってことかも知れないけど。
 
 こんな日は樹羅の囁きに耳を傾けてみるのはいかがでしょうか。

 記憶の森に風が吹く。
 喜びの緑の輝き。
 沈黙する土の匂い。
 悲しみを洗い流す水音。
 
 今、私は黄金の森に立っている。
 瞳の向こうには昼なお暗い闇の森。

 暗く深い闇の森。
 けれど私はその場所を知っている。

 一筋の金糸の光に照らされた
 その花から生まれたということを。
 

 



緑茶を啜ろう

2002年12月2日
 海外時間で12時をこえてしまった。これでは本当に月曜日の日記になってしまうよー。

 この日記を書いていると、うっかりenter間違いでアップしちゃったりするので油断がならない。ふぅ。

 とっておきの緑茶を入れる。抹茶の芳醇な香りが広がって、至福の安らぎ。疲れた脳みそをお風呂に入れてる感じ。

 今日は一日中創作をして、それから自分としてはまた一歩進んだ気がする。こんな面白いことは、大学時代にやりたかったな。年齢が進んだ分or海外にいる分、どうも苦戦はしそうだ。
 ?前頭葉を使うと眠くなる?HP/MPの消費率が激しい?神田本屋街に直行できない。

 海外で和書に触れないと本気で日本語の語彙力が失われそうで怖い。ここに来て半年、そろそろ英語が分からないまま日本語が怪しくなる時期だ。
 資料に囲まれていた日本が懐かしい…。本は大事ですね。まあ、置いてきたお陰で引越し代安くなったわけだけど。
 それにしてもここ半年の活字離れは辛い。

 童話ならいざ知らず、小説を書くにはそれなりの語彙力が必要だ。手を打たねばなぁ。

 ああ、それにしても緑茶が美味い。
 日本語って美しいなぁ…。

「ふと」思えば。

2002年12月1日
 イギリスに来て半年。しつこくテレビを見ているうちに前よりはましになった方だと思う。道端で隣人等に会って口を開く時は緊張するが、生活の一端となれば楽しんではいる。

 と同時に、やっぱりイギリスは外国だなぁと思う。フランスは故郷みたいなものだから何の違和感も感じないが、イギリスは確実に外国だと感じる。道がベリー系の植物で覆われていたり、遊園地のティーカップよろしいラウンドアバウト(複数道の中心に島をつくって車をぐるぐる回して目的地に行かせるもの)があったり、そこに「在る」ことが謎々のように見える。
 3歳から中学生の目で感受性で受け止めたフランスに対し、大人の理性的な目で見たイギリスは何て謎に満ちているんだろう。
 だから大人になる程、勉強することが増える(笑)。

 ふと思えばここに来てから滅多にない地震に遭うわ、時速160?の突風に見舞われるわ、例年にない雨続きだわ…。

 まさにツクールに出会ったことが天変地異だと言わんばかりだ。そうかも知れない。

 沢山の人に出会い、自分にない輝きを持っている人を沢山知り、ここで日記を書いているのもその人達のお陰です。
 ここにいる間に、やれることをやり尽くしたい。

 だからやっぱり、勉強することが増えちゃう。(笑)  

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