手芸で。

2007年9月8日 趣味
 どうしてそうなったのか、気がつけば、手芸売り場で一日が終わりました。

 好きなように作って選ぶときは早いのに、細かいレシピ通りになった途端に、うろうろ…。

 訳の分からない指定が、頭が痛いんです。
 綿レース、幅1?の指定が。
 どうあっても、模様は必須の部分で、模様が1?以内のレースがないんです。
 これが、綿レースでなければ、いっそレースを自分で編んだ方がよほど悩まなくて済みそうなのですが…、仕方がありません。
 
 洋裁売り場を出て、毛糸を手にしたときは、ほっとしました。
 毛糸に触れているだけで、優しい気持ちになれるような気がします。 
 
 意外にも、極細の毛糸が高いことを初めて知った日。
 そして、ベビーコットンが同じくらいの値段でやっぱり高いことを再認識した日。

 これだけ苦労して、材料を集めたのだから、…絶対完成させなきゃ…!

 …と、心に誓って、…ばたんきゅーの日でした。

 拡大縮小で、自分とお揃いのベストをドールに編もうとしている、親ばかぶりですが…。

 それが一番、編むのが簡単で、早いのですよ。

そして…。

2007年9月7日 日常
 台風一過の朝、ベランダを覗いてみると…。
 エアコンの室外機が、強風で動かされていました。
 水を吸ってボロボロになった、段ボールの屑が散乱し、どこからか飛んできた、サンダルの片方が…。
 結構、高い階に住んでいるのですが、…サンダルがどうやって飛んできたのか、想像するだにぞっとしますね。

 強風と大雨の中、旦那様が家に着くなり体調不良で倒れ…。
 看護と台風で精一杯の一夜でした。

 真夜中、テレビをつけて台風情報を何気なく眺めていると、ふと、テレビの上の棚にある、ミニヤシが目に入りました。
 掌におさまるくらいの鉢に入った、本当に小さなヤシ。
 近頃急に成長し、一本のランナのようなものが伸びています。
 それが、この一晩で新しい葉を開こうとしていたのです。
 通りがかるたびに、ゆっくりと、ヤシらしい細かい葉に分かれていきます。
 どんな時でも、力強く生きようとしている…。
 緊張の空間から切り離された、ヤシに心細さを忘れ、勇気づけられました。

 そして、旦那様は回復して元気に出勤して、…ヤシは、新しい葉を無事に開いたのでした。

 家事、仕事、趣味…。
 健康で、家が無事であれば…。
 
 日常を過ごせることに感謝して、今日は、エクセルでお仕事三昧の日。
 

のほほん。

2007年9月6日
 ベランダのバジルを、家に避難させて、台風の準備完了。
 先代のバジルから直接種を収穫したものですが、先代よりもずっと元気で背も高く育ちました。今、花を咲かせなければ十一月まで葉を使えるそうですが、今回は状態が非常に良いので、種の収穫に全てを託すことにしました。
 来年を楽しみに、白い花々の鑑賞を楽しんでいます。

 30グラムのラメ入りの水色の毛糸で、27?ドールのワンピースを編む。様々な編み目パターンを試すにも、丁度いい分量です。大きめな真珠のボタンでアクセントをつけて、できあがり。

 海に縁があったせいか、物語の中によく海軍が登場します。
 資料として様々な国の事情を学ぶのも面白いのですが、目下、自分世界の制服に悩み中です。
 参考に旦那様の仕事先の礼服を眺めるも、…やっぱり何かもう一つ、オリジナルが欲しい。スーツ型というわけでもなく、実用的で、かといってただのシャツはつまらない。
 ファンタジー性(?)を出したくて、こだわり倒れるパターン。
 ドールに着せる日は、まだまだ遠いようです。

 乗り物資料といえば、クライスラーの1960年代の、白のオープンカーの模型があるのですが、眺めるにつけ、「旅に出たい症候群」に見舞われます。
 最近は、模型車のシートには、シルバニアンを入れて、気分だけでも旅行。

 最後に資料といえば、「鳥と飛行機はどうちがうのか」という本を読書中です。

 いつの間にか、乗り物系の本を色々と旦那様の書斎から借りて読んでいる…。共通趣味と判断されると、お小遣いではなく、家計の本代から落とされる。
 もしかしたら、旦那様の作戦勝ちですか…?

水色。

2007年9月5日
 Mr.ホビーやスプレーを使いたい日に限って、よく雨が降ります。
 クリアのつや有りが、何故か瓶から液漏れを起こしていて、大惨事…と思ったら、固まらずにいてくれたので、道具箱の掃除が助かりました。それにしても、何故、液漏れを起こしてしまったのか…謎です。

 水色系(ホワイトライン)のグラスアイに合わせる睫毛に悩む。ウィッグは自分で染めた水色のワッフル。ウィッグに合わせるといっても、睫毛までは水色に染めていないので、とりあえずブラウン系をはると、どうもドールの眼力に目眩がします。
 結果として、ブルーとパールホワイトの重ねづけをしました。
 ブルーの睫毛に、白髪が混ざっているように見えるのではと、心配をしましたが、意外と神秘的でした。

 水といえば、つい3月まで転勤で住んでいた、神戸のお話し。
 海と山に挟まれ、他県にも出やすく、とても住みよくてお気に入りでした。
 波のない海は穏やかで、気持ちもとても穏やかになります。
 毎日、海岸通りを散策し、いわしがはねるのを眺めたり、飛鳥?や日本丸が滞在しては旅だって行くのを見送りました。
 海の側の家だったので、夜の海に鵜の鳴き声が響くのも何か新鮮でした。

 今、再び転勤で引っ越しをして、海の側に住んでいます。
 海が波立つのを見て、また感動を覚えました。

 環境が変わるたびに、当たり前だったものが、新鮮に感じられます。

 当たり前なんて、どこにもない。
 それが、自分の世界観の礎です。
   

風のまま

2007年9月4日
 日本や外国を転々とし、気づけば時も自分も変わっていく。
 日常と空想の二つの世界を行き来し、過ぎていく日々…。

 私自身が変わったというものでも、ないのかも知れない。
 ただ、より枝を伸ばし、葉をつけただけ…。

 空想の世界は、果てしない。
 だけどそこには、現実を生きてきた足跡がある。
 だから一生、離れられない。

 一つの小説世界を熟成させる。
 すでに、人生の一部です。

 難しいことは抜きにして、ただいまは、空想世界を、小説と60?ドール等・衣装制作で表現中。

 ドールのメイクをして、現実に目に見えるようにすると、自分の知らないキャラクターが見えてくるから、不思議。

 なんにせよ、苦しみつつ、楽しみつつ、が日々を潤してくれるこの頃です。
 
  

心の旅のメモ。

2004年6月12日
 思ったよりも長い治療になっています。現在はまだ薬を投与しています。医者は「早く治すためには自由に振舞いなさい」というのですが、まあ、色々深く考えないことが今は一番の治療でしょう。友人には「少しストレスを口に出したり、キレてみることが必要」と言われましたが、性格的にタイミングを外すので、難しいでしょう。恐らく、今まではそういうエネルギーを創作に出していたのだと思います。
 即ち、語りたいことがあれば創作で語れ、と。

 けれど、忘れていたこともあったな、と最近思い出されました。
 何かに癒されること。誰かに癒されること。それは胸を熱くする出会い、心の琴線に触れるようなこと。

 ゴールデンウィークにPCから煙が出たので一から作り直し、飛躍的に機能がパワーアップし、あまつさえ160GBのHDDを外付けにして無線LANでつなぎ、家中のCDを片っ端から収めました(「玄人志向」のビデオカードと一部のマザーボードは相性が悪いことが発覚してちょっともったいなかった)。

 ゲームも片っ端からやりました。イリス(調合しているとストーリー忘れます。ヒロインはあまり好みでなかったかな。)もドラクエ(気がつくとモンスターの武器や防具をお買い物する方に気がいってしまう。2回目だからかな)もポポロ(映像は凄く綺麗。フリックシステムには少し泣かされた。ラストも少し泣いた。けど、8歳用の「伝説の最強の装備」が遺跡にあるって考えると…。)。
 ポポロの「月の掟」の船とクロコネシアの音楽は好きです。
 だけど、最近やった中でいいなと思ったのは「ツヴァイ!!(古い)」の「カヤパの森」と「水中庭園」の音楽ですね。アクションだけど癒し系。ゲーム自体はモンスターが可愛いのに倒すのは気が引ける上に意外とハードでした。スーパーアレンジバージョンは、「ああ、こっちにいったか」と。なんていうか、ジプシーキング。

 CDというと、遊佐未森の「HONOKA」とさだまさしの「日本架空説」と上原ひろみの「ANOTHER MIND」が良い出会いでした。

 遊佐未森の「HONOKA」は全体的に好きですが、中でも中原中也の詩を使った「月夜の浜辺」はとてもよかったです。そして、改めて詩の力を感じました。凄い。こんな数行の言葉が、何故、こんなにも想像力をかたてるのか。そこに音楽が入ると、ある種の「聖域」を感じます。
 この透明な気持ちを大切にしたい。

 さだまさしの「日本架空説」は「THE DAY AFTER TOMMOROW」。この人は相変わらず、凄いです。ビートルズのある曲に対する返事、といわれている曲ですが、言葉も、胸に語りかけるような歌い方が、そのまま心に染み込んできました。
 聞いたとたん、涙が零れて、その後もしばらくこの曲を聴くと涙が自然に零れました。
 何故、こんなに素直に言葉に出来るのだろう。何故、それを人に語ろうとするのだろう。
 そして、その歌を聴いて、まるで父親に語られているように思い、漸く欲しい言葉を貰えたと感じて、硬い心の壁が溶けた人がここにいることを。

 時には人に言葉を求めて、甘えてもいいのかな、と、慰められました。求めても与えられるものではないけれど、でも生きていると、それは突然不意打ちで降ってくる。そんな時、とてもありがたくて嬉しくて、泣くのです。この曲に出会えて良かった。

 上原ひろみは「トムとジェリー」が好きです。CDで聴いてみたら、思ったよりもずっと女性的な柔らかい音なので驚きました。音の一粒一粒の骨格としてはこれからどんどん練れていくのでしょうね。割と現代的な曲が多い中で、この「トムとジェリー」はずばりラグ系なので好みだということです。ラグは頭の体操になるから好き。途中で入るスローは少し大人の色香があってよく弾けていると思います。そう、音に色がある人だな、と思いました。左手と右手の主旋律の切り替えの心地よさや、曲も基本に忠実な面が覗いたりと、安心して聴ける曲です。
 
 この3つのCDとの出会いは、それぞれキーワードを残していきました。メディアや、遊び心や、真心、忠実な基礎・・・。キーワードの正体は熟成している途中なのでわからないけれど、砂の中で光る金の粒のように、今私の胸を照らしている。
 何か、「真」という想いが、その地中深くに埋まっている。
 だけど今はまだ、潮騒の音にかき消されて良くは聞こえない。

 こうして織り上げていく時間はとても好き。
 数ヶ月前までの私には、さようなら。

 私は私で、いいっていうこと。
 その意味なんか、本気で考えたことなかった。いえ、考えてはいけなかった。
 だって、客観視の自分が決め付けた「自分」なんか、いつだって最後は荷物にしかならないから。

 旅はまだ、続きます。
 語るべき時を知り、黙する時を知る。
 数多の雑念を振り払い、孤独の道を選ぶ。
 
 だからまた、旅に出る。
 その間に、沢山のものを見るだろう。
 己の姿も見えるだろう。

 道が見えなくなった時は、自らと語ることを求める。
 今この指先は、様々なものを創りだす魔法に満ちている。
 それを操るのは道。
 道は心が作り出すもの。

 今は指を使う時ではない。
 しかし今は道を作り出す時である。

 だからこそ、旅にでよう。
 再びこの地に舞い降りる時に、かけがえのないものを手にしているように……。

 今度こそ本当に、しばらくの間日記をお休みします。
 まずは生活の建て直しに頑張ります。生活あってこその趣味ですよね。
 焦ったりプレッシャーを感じることから離れ、素直に自分の中から創作が出来るようになるために。そして、それをするための吸収の時間をもつために。

 飾りのない自分でいられるために。
 喜びを感じられるようになるために。
 今は一時でも縛られることは出来ない。

 今まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
 年を越えてから鬱な日記ばかりで反省してます。過重なストレスを上手く消化できなかった不器用さには更に深く反省します。

 私は健康と家庭に集中するために、しばらくお休みします。
 健康を管理できない大人は失格ですし、旦那様を支えられない妻も失格ですからね。結婚したからには家庭が一番と心得えて精進します。
 それが果たせたら、心置きなく創作に励むでしょう。
 今は見苦しくじたばたせずに、己のなすべきことを一つずつ片付けていくことにしましょう。今の自分のままではもういたくないのです。
 
しかし、浦島太郎の心境と本当に似ていますね。帰国したら己の立場にたちまち現実としがらみが襲いかかって、「こうあらねば」というのが沢山やってきた。まるでUKが長い休暇だったとでも言うように。自分の手で絶対一度仕切り直さなければと思っていました。私は日本の生活にはもう慣れましたが、日本における「この歳」には多分まだ追いついていません。止まっていた時間
を動かさなければなりませんね。本当にしっかりしなければ。
 これは、時間をかけてでも必ずやらなければならないこと。

 ですから、少し長い旅になることでしょう。
 そして、再び戻ってくる頃には、願わくば健康でもっと豊かな人であることを……。

 皆様のご健康とより一層のご活躍をお祈りいたします。陰ながら応援しています。
 本当にUKにいる時から、ありがとうございました☆★
 またいつか、お会いしましょうね☆★☆

4月。

2004年4月1日 趣味
 ああ、ついに帰国して半年です。年末にインフルエンザをやってから一体何をしていたのでしょうか。一時はUKに飛んで帰りたくなりましたが、春の陽気に励まされて漸く日本の情緒に安心して目を向けられるようになってきました。
 やっぱり、どこの国も慣れるまでは半年かかるということでしょうか。しかも洗礼のようにまず倒れるし……。

 半年で変わったといえばついに体重が10?落ちました。でも外見はあまり変わらず。そう書くと前はどうだったんだ?!と恐ろしい想像をされそうですが、がりがり痩せることもなく、ころころというわけでもなく、普通のままです。恐らく、筋肉がおちて体重が……ぎゃー。
 低コレステロール、高たんぱく質。考えてみれば今の食事はかなり健康的です。UKを振り返れば自然食には結構慣れてたかも。週に一度はディップパーティで生のニンジンとか食べていましたしね。ソースとかも一から作っていたから砂糖や脂質は自分で調節できたし。早くまた料理を楽しみたいですね。

 起き上がる時間も少しずつ長くなってきました。高校生以来、久し振りに立原えりかさんの童話を手にとって読みました。あれは小学校のときに夢中で読んだものでしたが、大人になって読むと視点が本当に変わります。子供の頃は見えなかった大人の事情が今は分かります。小鳥になって飛び去っていく少女の話も憧れたこともありましたが、今は「もっと人間として現実に何かを自由に出来るのは面白いことだ」と分かります。

 ただ、この本の魅力は、言葉の流れに魔力があるところです。
 昔から、言葉というのは呪文とも言われます。人の心を揺さぶり、魂を奪うことがある。
 一見、何の変哲もない描写が、いつの間にか魅力的に感じられる。美しく哀しい物語なのに、読んだ後に幸せを感じる。
 不思議な魔力に満ちた文章だと思います。
 この人の話は、決して砂糖菓子のようではありません。一見、小人や美しい人に夢を見させてくれるようで、その実はとてもリアルな生活をなぞっているのです。幻想は現実を一枚めくったその裏にしかいない。ある時はただの大人のついた嘘のこともあります。
 しかしそこに秘密があるように思われるのです。
 語りかけることの美しさ。人の話す言葉というのが、いかに魅力的に物語を紡ぎだすかということを、この人は把握して使いこなしていると思うのです。
 そういう風に使えるようになりたいですね。
 
 4月はゆっくり養生しつつ、回復のリハビリをします。 
 樹羅の枝に小鳥がとまります。やがて、小さな声でさえずり始めました。

 それは、ある夢織り人の口ずさんだ言葉です。
「私、御伽噺の続きがないのは、続きがいらないからだと思っていたわ。夢を見続けていた人が、ある日夢が叶ったら、もうその夢はいらないと思って去って行くようにね。
 王子様を見つけたお姫様は、お話の後も優しさや美しさを持ってお嫁にいくでしょう。賢かったり、動物に親切だったり。
 だけど、もう王子様に会う夢は見ないし、その時の幸せな自分を思い描く必要もないと思うわ。
 そう、幸せな自分を思い描くことを忘れて、やがて求める人に生まれ変わってしまうのよ。
 それは恋でも未来でも、欲しいものを手に入れるたびに、少しずつ失っていくのよ。
 大人になるうちに、何でも現実でなければ満足出来ない夢に変わるの。そして本当の幸せを実感するまで求め続けるようになるの。
 手に入れた喜びと引きかえに、夢の糸はそうして一本ずつ色褪せていってしまう。そのうち、夢を織ることが何だったかも忘れてしまう。満たされない幸せと枯渇する希望の狭間でいつしか苦しむようになるかも知れない。
 
 だけど本当に失われていくのは、夢ではなく優しさなのかも知れない。弱いものが強くあればいいと思うこと。儚いものが永遠であればいいと思うこと。美しいものがより魅力的であればいいと思うこと。そして過去と現実を否定すること。
 何故、そのままを包みこむ強さから目を背けるの?
 彼等は輝きを失ってはいない。
 そして、強いものも弱いものも見える力が心に宿ってこそ、失われた優しさを取り戻すことが出来るのに。

 その優しさを手にしたら、夢の織り方を思いだすことでしょう。幼い頃とはもう模様も色も変わってしまったけれど、鮮やかな、幸せな色になることでしょう。

 私は今日も夢を織るわ。
 幸せな自分を忘れてしまわないように……。」

 小鳥は一時羽根を休めると、うすむらさきに染まりはじめた空へとまた飛んで行きました。
 樹羅は微かに葉を揺らしました。
 「束の間だから、美しく織れる夢も、あるでしょう」
  

休暇中。

2004年3月29日 樹羅の囁き
 ……もう、二度と内視鏡は飲まないって誓ったのに〜。
 あの短時間で写真撮れた先生も凄いと思う。喉に親指を突っ込まれたような感触が抜けません。

 白粥と野菜スープの日々。けれど窓の外は眩しい程の桜。春の陽気で心が温かくなります。

 温かいといえばヒナの里親さんで良い出会いがあったことです。今日ほどネットの存在に感謝したことはないと思います。幸せになるんだぞ、ルル(ヒナの名)。早く風切り羽が生えてくるといいね。

 全員集合してくれた家族のみんなにはこの場で感謝します。皆のお陰で目だけは食欲を取り戻してくれました。目の前で皆美味しそうなものばっかり食べるんだもん、うっうっ……。

 程よく麻酔が抜けないことだし、春だし、気楽に神経をほぐすことにしましょう。転がってメルヘンの少女漫画を読んでいたら、枠や型がないのもいいなと思いました。背景がUKを参考にしているらしく、懐かしかった。

 樹羅も今日は涼しげに葉を揺らしています。

 「両手に、強い光を。
 闇が目に沁みる時がきた。
 光の柔らかさに抱かれ、体の中から力を呼び覚まそう。

 何故、不幸を語る。
 何故、勇気を欲しがる。
 何故、刹那を求める。
 何故、力を知りたがる。
 何故、感情を高ぶらせる。
 何故、生きることを感じたがる。

 指先に風を感じる。
 春の来る方から……。」

 目を開ければそこいら中が生きる輝きに満ちている。
 それはどんな光よりも眩しい。

そしてヒナ。

2004年3月23日 日常
 ヒナは無事に友人宅に向かい、元気にどたどた走り回っているそうです。結構性格はやんちゃで甘えん坊さんのようです。良かった。

 生後8週間目からのヒナは世話したことがありましたが、3週間目というのは初めてで本当に緊張していました。本当にまだぽーっとした赤ちゃんヒナ。パイドで、頭と尾羽根がルチノー色の黄色で、他は水色という春らしい綺麗な鳥でした。
 3〜4時間ごとの餌やり。むき餌のあわ玉に、栄養剤、青菜とボレー粉のすったものを混ぜて、40度を目安にお湯でふやかします。それをスプーンでヒナの前に出してやると、もの凄い勢いで「ドカカカッ」という音を立ててがっつきます。ふやかし加減にうるさいらしく、柔らかいとジージー怒りながら食べ、好みの加減だとチリチリ大喜びで食べてくれます。本当に可愛かった。
 そのうがパンパンになるとおねむ。
 これを繰り返して、ある日ふと見ると羽ばたきの練習をしている。
 ……本当に3週間目か?この調子だと後一週間もすれば餌が硬いむき餌に変わりそうなくらい、口の中で最後の餌を転がして楽しんだり、予兆があちらこちらに出ています。普通は6週目からの筈だけど。見た目はまだ幼いけど。
 そんなこんなで無事に送り出しました。元気でね……。

 鳥さんは人間の食べ物はあげてはいけません。肥満や腫瘍、塩分の取り過ぎの原因になるだけでなく、チョコレートのようにアルカロイド中毒で死ぬこともあります。インコなどは果物は好きですが、桃類は厳禁、毒があります。青菜についても、ほうれん草(シュウ酸)、キャベツ(毒)ということもありますし、例えば部屋の植物でもポトスや鈴蘭のようにやはり毒になるものがあるので気をつけましょう。他にも色々あるので、予め知識をもっておくのは大切ですよね。
 哀しいかな、鳥さんは好奇心が強いので自分で気をつけて避けてはくれません。

 大変ですが、充実していました。慣れてきた頃には、私が電話で話していると、一緒に囀ったりしてとっても可愛かったです。
 大きくなっていく姿が楽しみです。

 ……そんな中なのに。私が、倒れました。
 ……胃腸炎?点滴?絶対安静?
 そんなわけで、安静にしています……。

唐突にヒナ。

2004年3月22日 日常
 唐突にヒナ騒動で育児中なのです。
 明日、お迎えが来るまで元気でいておくれ。
 羽毛が柔らかい〜。
 不眠症気味なとき、BBCのHPから音楽VIDEOを開けて色々覗いています。そこにあのFAME ACADEMYで最終2位だったALISTAIR GRIFFINを発見。懐かしいな。もうUKの暮らしが最近は夢だったかと思い始めている頃だったので、ふと馴染んだ顔に出会ってほっとした感じがします。

 ALISTAIRは印象としては「一緒にいたらあったかそうな人」の一言につきるキャラです。子犬みたいに元気でお茶目で笑いの耐えない人だけど、やるときはやるみたいな人です。個人的には歌はまだまだ語りかける力が弱いと思うし、どちらかというと野心より素直さが売りみたいなところがあって、バラード系の人だと思います。声は綺麗とまでは思わないけれど、わりと好感触。ただこれから人間的な厚みが歌に出なかったら終わってしまいそうな危うさがあり、良く言えば癒し系で楽しく聴ける人。

 何より印象的だったのは、彼がFAMEの生徒だった頃、彼の地元は町をあげての応援ぶりで、母親は彼の写真入りビラを町中に貼りまくったのですが、それがとっても「迷い犬」の張り紙に似ていて、笑い転げました。挙句の果てに、町の標識にまで貼ってしまって「ALISTAIR TOWN」とか勝手に変えちゃったりして、本当彼のエピソードはALEXと対照的に笑い話ばっかりでした。

 聴いてみてまた笑ったのは、彼のクセである「窓拭きスタイル」。片手で窓を拭くような仕草の振り付けで歌っている。FAMEの先生方も笑って「窓がそんなに好きなのか?」と聴いたら「俺は窓が大好きだ!」とか答えていたっけ。
 まだ拭いてる、窓拭いてるーって見た途端に吹き出してしまいました。
 でもそういうのが、少し嬉しかったりして。
 「YOU AND ME」は割と良い曲だと思いました。ただ、歌の流れが少しWESTLIFEの初期のに似ているかも……。

 折角ヨーロッパ仕様のPS2を持って帰ってきたのだから、少しUKアマゾンでお買い物しようかな、と思いました。懐かしくなったら、欲しいもので胸がいっぱいになりました。

春の雨。

2004年3月18日 日常
 朝、相方を送り出すときはいつも「いってらっしゃい」。
 それが朝の4時帰りで6時出勤でも。蒼白な顔色を見ていると、時々「もういいから、休んでよ」て喉元までこみ上げるけど、それが仕事だから仕方ない。背中をぽん、と叩いてそういう時はとびきり元気な声で「いってらっしゃい!」。
 指揮者が倒れないうちにアンコールに送りだすマネージャーに似ているかも。「大丈夫、休んだら」なんて言えば気絶しちゃうから勢いをつけてバネになってあげるのだ。
 でもドアを閉めた内では必死に祈っている。どうか、無事に帰ってきますように。
 ちょっと、せつない朝。
 生きていくのは、シビアなことですね。

 何かに集中しているとよく歯を強く噛み締めています。ピアノを弾くときが一番よく噛み締めていて、バッハになると時には歯茎がはれてしまう程噛み締めているらしい。
 よくよく訊くとそういうことは私だけではないらしいです。プロの道を歩いている人でも歯が早く磨り減って危険だということがあるらしい。
 とりあえず全身に支障をきたす前にストレッチ。最近肩の筋肉をほぐすようにしたら、左手の指も少し楽になってきました。
 体の柔軟さは大事ですね。

 雨が早くあがるといいな。

誤解音。

2004年3月17日 日常
 昨晩のことです。珍しく体調も良くて今のうち〜とアイロンがけやらお片づけといそいそと動き回っていました。上階や隣人達はこれも珍しく賑やかで、どうやらカラオケしたりして盛り上がっている様子。ピアノの音も結構遅くまで聞こえていました。
 ふーん、楽しそうだなぁ……と前方不注意で歩いていたら、足元の大型空気清浄機に躓いて派手に転びました。そりゃもう、大型だけに「どかしゃーん!!」と大音響。
 ばったり倒れて「い、痛い……」とか呻いているうちに、一瞬隣人達は静まったかと思うと、やがて話し声やピアノの蓋を閉める音が聞こえて、あっという間に静まりかえってしまったのです。
 まずい。あああっ、違うのよ〜。絶対、誤解されたー。
 きっと隣人達はどこかの階で「うるさいんじゃーっ」とか言って何かを蹴り倒したと思ったに違いありません。
 単にコケただけなのよ〜。
 そういう声に限って届かず……。
 隣人様、ごめんなさい、ごめんなさい。
 帰って相方に話したら「そりゃ傑作だね。あはは」と言って笑われた。
 笑い事じゃないよぉ、もお。
 よく、記憶をさかのぼる時、まだ言葉が話せなかった歳を思い出します。気持ちを何か形にしたい、大人達の使う音を発音してみたい、そんなもどかしさを持っていました。
 そんな歳頃の世界は、説明のないもので溢れていました。
 手にしたものを何でも口に入れるのは、食べられないとか識別するためとも言われますが、実際手よりも口の方が堅さや材質の感触をよく記憶できたと思います。
 しかし、手にした物の因縁はまだ分からない。どう扱って良いのか分からなくて、振り回したり転がしたりしてみる。
 やがて物の正体を知って識別する能力がつくと、複数の集合体(積み木とか)使って遊び、まとめて片付けることも出来るようになるわけです。

 私達は、分類したり識別するのは成長や知恵の発達でやってのけていることだと大体認識しているかも知れません。
 しかしこれを、歴史や文化、世界規模で見てみるとどうでしょうか。
 「博覧会の政治学」という本があります。そこでは、大航海時代から20世紀までに人々にもたらした「まなざし」の変化がどのようなものか語られてあります。新大陸の発見に伴い、新しい事物が急速に流通するにつれて博物学が発展し、「分類」というものが目覚しい進化を遂げる。
 そこで起きたことを簡単に言えば、「太陽の化身の民、○国人」という民族がいたとしたら、「ヒト。○色の髪、瞳、肌の○人種」とまとめるようになった。これはただ調べるという話しではなく、固体の因縁を認識する作業だと思われます。
 如実に言い表せば、博物館や動物園の存在がそうですね。例えば動物園はこの「まなざしの変化」の前は「奇妙な伝説つきの見世物小屋」として町を練り歩くものだったわけです。ちなみにそうして大衆向けに公開された最初の博物館は大英博物館だったと言われています。
 なので動物園のような分類の仕方を目にした民人達の驚きや感動を思うと、この「まなざしの変化」はさぞや大事件だったであろうということになるのです。

 これがとても興味深いのは、では今日、私達が歴史や文化の流動から手にしている「まなざしの変化」は何だろう、と考えられるからです。
 私達は成長の中で様々な「まなざし」を学んで来ました。識別し、分類し、時にはそこにまつわる話しにも耳を傾けてみる。最も身近な新しい「まなざし」はそこいら中に散らばっていて、自分と違う人や新しいものを学ぶ度に変化し、広がってきます。年老いていくまでには更に先達も経験したような「まなざし」を身につけていくことでしょう。
 しかし、世界から学ぶ「まなざし」はどうでしょうか。気づかない間に身につけて変化しているものは何でしょうか。

 そこには何か「無限の可能性」すら感じられます。
 このことを紐解いていくと、昔の人の生活や芸術の性質がより深められる気がして興味が尽きません。
 今の、私達に対しても。

 そこまで考えていたら、あの言葉が話せない頃、自分がどこから来たのか、どんな場所だったのか何となく知っていたことを思い出しました。安全で、温かくて、意識というものがいらない場所。それは、胎児の記憶なのか、魂の記憶なのか、細胞の記憶なのかは、分からない。だけどなんとなくあの頃は、ふとした弾みですぐにそこへ戻れるような気がしていた。
 識別出来ないことはまだ沢山ある。
 お留守番、お留守番、お留守番。
 仕事に結婚式にインコのヒナ探して三千里の相方にお疲れ様。

 ピアノを弾いて弾いて弾きまくりました。電子ピアノなのが残念だけど3、4時間弾くととっても気持ちが良いです。かつて解釈・表現がどうしても届かなかったジョン・フィールドが最近は少しずつ理解してきたような気がします。ショパンやリストが影響を受けた元の人だけあって、その曲の流れはよく似ているけれど、ちょっとしたことが体に合わなかった。自然に弾いていればここはフォルテに向かうだろうというところがピアノだったり、ブレスのタイミングも妙に長くて、曲は好きだけれどどうしても弾ききれませんでした。彼の曲は一歩間違えば本当につまらなくなってしまうので、演奏会練習で凄く神経が疲れた覚えがあります。あの頃よりも大人になったのかな。それと最近は品格にも気をつけるように心がけています。感性や耳、技術だけでなく、理想的な指の筋肉をつけることも意識しています。
 指を鍛えることは内臓・心臓・血行に良いですしね。

 相方と私、それぞれの時間、それぞれの歩幅で歩いていく。
 頼りない絆を手に入れるために焦ることはもうない。
 お互いが生きていることで、安心している。
 それが、結婚生活の答えなんだね。
 昼は太陽の光がある。夜になっても、ほら、月の光がそこにある。明日も明後日も。それが、答え。
 そうして、また、明日が来る。

 なんだか、これが自然な暮らしなのかなぁと妙に味わっていた日でした。
 熱が上昇するとロクなことを書かないなぁということで、鬱モードを振り払うよう努力しましょう。精神修行ですね。

 海が見たいな。仏蘭西の西海岸みたいな海が。
 昨日までは爪とぎ板がもう一枚欲しいほど、気持ちが揺れていたけれど、今日は打って変わった穏やかな気分。
 正直、年末の風邪から予定が大幅にずれまくって心が焦っているのです。今年中には手元の創作物を整理するようにしたい。約束もまだ果たしていないし、ここで寝ている場合じゃないぞ、って何度も言い聞かせているけど、思うようにいかない。約束している人には本当にごめんなさい。

 目を閉じると、ノルマンディー海岸の懐かしい風景が見える。 海岸に近付くにつれて起伏の激しい道になり、リンゴの木が増えてくる。緑の丘にリンゴの白い花が咲き乱れる姿はとても美しい。対照的に、海はいつでも力強く、冷たい風が吹いている。夕暮れは濡れた砂浜をも紅に染め、さながら一枚の絵画のように雲もまた黄金に染まりつつ佇んでいる。
 古びた家屋でそば粉のクレープと地元のシードルで一息つくのは格別の時間だ。お土産にはカルバドス。リンゴのケーキを作る時にはかかせない。
 この場所には何度も来た。海は場所により様々な表情をもっていてお気に入りの海も幾つかあるけれど、ここの波には言い知れぬ安らぎと思索のリズムを感じる。
 いろんな表情があってもいい。
 ノルマンディーは曇りの日も多い。
 だからまた晴れた時には、格別な表情を望めるのかも知れない。
 とかく思い出は深い安らぎを与えてくれる。
 時間の違う場所に住めば住むほど。
 樹羅の下で眠る人。

 シフォンケーキのクッションにダイビングして頬ずりしたい日。

 時には頭がマシュマロでいたいのです。
 生活の空洞化って、虚しい。
 今の私を見ると、外や他人の情報は流れてくるけれど、自分の歴史は創られていない。
 医療費で消える生活費。四方に下ろされる貧乏のシャッターは厚い。
 私が「ゼロ」になったとき、残るものは何でしょう。
 体調悪い時は「生きる」しか考えられなかった。
 心が元気になると「感性を吸い込む」ことに走る。
 健康だったら「創作三昧」に走る。
 だけど、上の三つは箱の中では出来ないこと。
 「受ける→感じる→考える→投げる」
 存在のキャッチボール。
 でも。私は。
 私自身の物語は進んだことにならない。
 健康になったら、焦らず、時を待たなければ。

 だから、今はシフォンケーキの星。
 甘い、優しい、空洞な夢を見る。

 「目が覚めたら、また旅に出て行くんだね」
 樹羅は静かに佇むだけ……。
 

春風に。

2004年3月10日 日常
 数日前とっても縁起の良い夢を見たのですが、「どんな夢?」と訊かれたので「大きな家の前で黄金の大蛇が金色の舌をちらつかせながらこっちを見てた」と言ったら、「そういう時は宝くじを買うんじゃ〜っ」と怒られました。
 運としては家系的には現金より現物支給の方がついているんですけれどね。とにかく親子そろってよく物をもらいます。靴屋で植木鉢貰ったり、割引券が当たったり……。どうも現金は縁がありません。

 家計費節約を志して、みず菜と大根を水耕栽培したらぐんぐん葉が伸びてきました。植物には殊更、春の力を感じます。

 運動不足を解消するため、少し遠回りで歩いてみる。庭先の梅や桃の花、ミモザが眩しい。風も温み、通院を通して町がどんどん近くなる。内科の先生には「本当?老眼なんてまだ早いんじゃないの?」と笑われ、私も念のためもう一度他の眼科に行って来ようかなと思う。
 左の指の痺れの原因はそう簡単には出ないだろうと予想していたけれど、やはりこのままな可能性が強いと思う。
 だから、自分に出来るだけのことはしようと思う。健康な食事、運動、適度な休憩、それから、心の中もプラス思考で……。
 大丈夫。きっと、よくなる。

 一人の時間がとても長く、鳥好きとしてはヒナをお迎えしたいけれど、ご時世的に近所に微妙なうえにショップにも置いていない。先日通りがかったデパートのペットショップでは成鳥だけを置いていました。そこには、オカメインコ数羽とヨウムが一羽。専ら花形は子犬の集団で、お客さんのチョッカイから店主が必死に護ってました。ヨウムは安心しきった様子で、大きく伸びをしながら欠伸をしていましたが、オカメは少し様子が変。お客さんが一メートル以内に近づくと目に見えてぶるぶる震えだすのです。人間嫌いの鳥や臆病な子はこれまでにも結構見たことがあるけれど、これはちょっとおかしいなと思った。成鳥だとパニックして飛び回ったり、威嚇したり後ずさったりすることが多いけれど、何と言うか、このオカメは人間を凄く怖いものだと認識していて、恐怖のあまり身がすくんでいるという状態。お客さんが指を出すと奇声をあげて大きく震えていました。一体、この子に何があったのだろう。それとも、一体、何を見たのだろうか、と思った。まさか、目の前でヒナや他の鳥を始末したとか……と頭を過ぎった。この店は以前はかなり質の良い鳥専門店だっただけに、成鳥の鳥籠2つだけの変わり用が異様にも感じられました。
 昨今のニュースの鳥騒ぎで、鶏が袋詰めで始末される姿が映し出される。そのたびにあの震えていたオカメが脳裏に浮かぶ。あの鶏達が病気になっても薬を備えるのは人間だけだ。早く猛威が過ぎ去ることを祈るばかりです。
 

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