最近少しずつ日がのびているのを感じて嬉しく思っています。

 気がつくと料理の番組を一日中つけっ放しにしていることがあります。
 相方が出張中に何か取得しておこうかと目論んでいます。サプライズ・プレゼントを作るのは昔から大好き。

 相変わらず本の整理で今日はライマン・フランク・ボームの「オズ」のシリーズを読み返しました。これは自分の世界創作にはバイブル的な存在です。最初に読んだのは小学生の時で、読み返すたびに視点が変わりますが、不思議な魅力を感じる本です。この物語世界とディズニーランドの構造をあわせて考えるのが自分の世界を創作するにおいて土台のようなものになっています。

 昔のように純粋にお伽に夢を見ることはおいて、今読んで感じることでも考えてみようと思う。
 今読んでもオズに興味がつきない理由。

 まず第一に、オズは異次元の世界ではなく、「死の砂漠」で隔てられた地球上のどこかの場所であること。こと、アメリカの近くらしい。
 ドロシーがカンザスの少女であることは、作者が数年間暮らした経験からインスピレーションを得たといわれている。

 次に、話の中に散りばめられた「文明の匂い」とお伽の絶妙なバランス。読んでいくと魔法で作り出されるものが文明品に繋がっていくきらいもある。
インターネットや栄養剤、現代なら魔法でなくても手にしているものもある。

 第3に、オズの国民は夢のような平和な暮らしをしているが(通貨はないし欲しいだけ物がもらえる)、妖精や魔女や魔法の生き物と絶対的な権力の差で隔てられている。権力者達の社交界の暮らしぶり等は物語が書かれた時代が反映されていると思われる。

 時代といえば、オズが気球で現れた時にオズの国の住民が偉大な魔法使いだと思い込むところがある。ふと、いつか航空博物館で目にした昔の記事を思い出した。
 事故でフランスの田舎に無人の気球が不時着したとき、村人達はこの正体不明の飛行物体を魔物と思い込んで散々攻撃した後、村中引き回したという。
 こういうことが実際にあったと思うだけで、現代に暮らす私には物語りのように感じられます。
 
 オズの住民達はどんどん砂漠を越えた他国の文明が進むのを危惧していた。「オズのエメラルドの国」では飛行船も文章に登場していて、「いつか飛行船がもっと沢山飛ぶようになったら、オズは見つかって訪問者が増えてしまう」。
 オズの国の魔法はお伽の国外に出ると効力を失う。彼らは国外では役に立たないことを知っているし、また国外のものもオズでは必要のないことを知っている。
 そしてオズは他国のものには見えない国となり、飛行船が辿り着けない場所となり、永遠のお伽の国となる。

 そこまで考えると、自分にとっての物語は生活や時代から生まれるけれど、現実とは上手くすみ分けないといつか自分の手で壊してしまう気がした。

 オズの周囲は沢山の脅威にさらされていた。文明国だけではなく、強力な妖魔達にも狙われていた。
 そんな中で幸福な世界を守る力に、惹かれるのかも知れない。

 作者は、「今までの血も凍るような教訓つきの童話」から「全くの娯楽に重点をおいた新しい時代の童話」を書いたと記述している。しかしそれは、一見何の関わりもない顔をして、物語には沢山のことが含められていると思う。1919年に亡くなるまでシリーズを14冊書いた。  

 オズの住人達は、永遠の命をもらったことをさほど喜んではいない。「成長する楽しみを失った」と嘆く人もいる。オズの住民は自分達の運命をどう感じているのだろうか。いつも感心するが、この物語には平和ボケしている住民がいない。

 変わらないために守る力と、成長するための力。

 これが多分、オズに興味のつきない大きな理由なのかも知れない。
  

飛び立つ前。

2004年1月15日
 もう少しで、動きだせる。
 バネを手でおさえるみたいに、体の内側から力が溢れるのを感じる。
 心が貪欲な飢えを感じはじめている。
 もう少し、もう少しで抜け出せる。

 近所でピアノを弾いている人が多いようです。
 耳を澄ましてみると、殆どの家がやはり電子ピアノのようです。値段も手ごろだし、住宅事情にはやはりこれが適しているのでしょう。時々遊びでバッハとかパイプオルガンの音色で弾くと結構感動しますね。個人的には、出したい音を追求するなら、本物の楽器が一番です。
 時間帯で聞こえる場所や曲の難易度が違うので聞いていて楽しいのですが、一軒だけ、どうやら無理やり習っているらしく、時々練習をめぐって壮絶なバトルが聞こえます。
 母親がピアノの教師をしていて、昔そういう子供達には、子供の母親に「本人が自発的にやりたいと言い出したらまた来て下さい」と帰していたのを思い出します。

 切欠はどこに転がっているか、分からないと思います。そのまま嫌いになるかも知れない。いつか好きになるかも知れない。ただ苦しくて投げ出したいだけなのかも知れない。

 ただ何がしたくて始めたのか、それだけはいつも自分の手の中に持っていたいと思う。ので、バトルしてまでも子供にやらせたい母親の気持ちって何だろうと思ってしまいます。

 自分にとって創作とは、世界で最も好きなことであると同時に、世界で最も嫌いなものでもある。
 時には非情で理不尽で個性を潰しかねない苦しみを味わうことがある。目を開けていればそこに自然の営みがあるにも関わらず、不幸や事件や意見で心を黒くしなければならない時もある。本当に、楽しいだけでも飽きてしまい、苦しいだけでも嫌になる。なのに、体中から力が湧いてくる。思った以上の何かを掴むと(それを魔法が働くと呼んでいる)喜びを感じる。ああ、ベートーベンの第九みたいになってしまった。

  ただ自分は「ゼロ」が好きである。
 「ゼロ」の裏側には無数の可能性がある。

 「ゼロ」と創作は切っても切れない相互関係があった。心が空っぽになるまで創作に吹き込み、創作をすることで何もなかった場所に沢山のものが生まれる。

 いつも確認していないと不安なもの。何度も自問自答していかなければならないもの。
 でも最近は、ただ「生きていること」なのだと思える。生きている傍らに必ずあるもの。
 物語でもピアノでも料理でも、生きている傍らに必ずあるもの。
 そして自分の内側で奈落におちないように掘り下げていくもの。人間を掘り下げることの興味はいつも失いたくないと思う。そしてそんなことに草臥れたらいつでも筆を置いてみれば良いと思う。

 いつも創作するときはそれ相当の心構えと助走が必要だ。もうそれだけの力がたまっているのかも知れない。マグロみたいに泳ぎつづけていないと死ぬというタイプなだけのことなのかも知れない……。
 

道連れの旅。

2004年1月9日
 風邪は良くなってきましたが、食欲が戻らず(というか味覚破壊で料理が出来ない……)ので、自分の方の実家に里帰りしてきます。帰国してからもう5?も体重がおちた。嬉しいような嬉しくないような……。

 我が家には風邪で体力がおちた私と、もうじきHDが一杯でCD-ROMが使えなくなったノートPCと、謎の電圧急降下をおこす貧血気味の自作PCがいます。
 「出来の悪い子供が3人いるみたいだ」と相方に言われそうですが、それぞれメンテナンスに入ります。
 ノートPCは海外で酷使したしなぁ。日本の製品を海外で使うと寿命が短くなると言われています。……自作PC「JAZZ」については倉庫で保管している間にどっかマザーボードとか配線が錆びたのでなければいいんだけど……。

 ノートPCか自作PCかどちらか復帰次第、また日記を再開致します。自作PCが復活したときにはツクールや創作も再開したいと思います。

 しばらくのお休みです。私もPCも元気になって帰ってきます。それではまたお会いしましょう。


 樹羅の下に休む者。

「青い光輪の月がかかる夜。
 今夜は、物音を立ててはいけないよ。
 茨の森のその奥で、
 目を覚ます者がいるからね。
 深い霧がその両手を覆ったとしても、
 決して声を立ててはいけないよ。

 そう、夜と朝の境にある、
 心の竪琴が歌いはじめるまでは……。」

 綺麗な晩には、からっぽの瞳で、心の住人が目覚めるまで静かに佇んでいたい時がある。

双子の剣士。

2004年1月8日
 早朝テレビでアメリカのダチョウ肉ブームについてやっていた。散々おいしそうなハンバーガーとか映してから、ダチョウの牧場主にインタビュー。「電話で問い合わせが殺到してて、これから大忙しだよ!」と笑ってみせる牧場主。しかしその背中で、ダチョウ達があの長い睫毛をしばたたかせながら大きな瞳で、好奇心一杯に首を伸ばしてカメラを見詰めているんです。
 お願いだからそんな目で見ないで。と思う、人間のエゴの悲しさ。

 熱にうなされて寝ている間、沢山夢を見ました。ところが今日の夢は少し変。何本見ても双子の剣士が出てくるんです。時代設定が変わっても、年齢が変わっても、西洋物だろうが東洋物だろうが、とにかく双子の剣士。

 起きたとき、こんなにパターンがあるのかと思わず感心してしまいました。夢に学ぶ。

 うーん、帰国の処理の仕事が全部終わるまで創作には手をつけるまいと思っていたけれど、そろそろ禁断症状が出たのかも知れません。

 その前に風邪を治しませんとね。国が変わると気候に慣れるまでは一年かかると言いますが、わりと平野育ちだったので山の気候が体に堪えます。
 それよりこの風邪を私にうつした旦那様&お義兄様はお姉さんも倒した模様。お姉さま、お大事に。
 旦那様&お義兄様、双子の剣士が倒しに行きます。
    

ベッドに逆戻り。

2004年1月7日
 年末にひいた風邪がなかなか治らずに、またベッドの生活です。声もなかなか戻りません。
 寝て寝まくって気がついたら、午後の4時。がーん。UKでは朝の8時頃。恐怖の時差ボケ生活に逆戻りです。

 ベッド脇にPSoneを持ってきてポポロクロイスを再プレイ。童話みたいな世界が好きです。何度もやってしまう理由には、こんな風に描いてみたいという思いもあるのかも知れません。
 幽霊船とか南の島とか古代遺跡とか結構ありがちな冒険ものも大好きです。
 近年の最新作ではPS2で主人公の代も変わったし3D化もしてしまいましたが、世界観とか温かい雰囲気はそのまま受け継いでいて、お気に入りです。
 手応えはまだまだPSの時の方が好きですが、これからに期待しています。

 新聞を読んでいて、「基礎工」という月刊誌で「世界遺産の地盤と基礎工」の特集をしているので読みたいといったら相方に笑われました。凄く面白そうだと思うんだけどな。
 好奇心の赴くままに何でも手に取ってみる方です。
 

のほほん。

2004年1月4日
 漸く少しの外出とテレビの前にいられるようになりました。声と食事以外は元気です。

 スカパーで2夜連続で「ザッツ・エンターテイメント」を見ていました。ハリウッド全盛期の娯楽物映画の名スター達と名場面集をアステアやシナトラ、ミッキー・ルーニー等の解説で綴った番組で、ビデオ化もされているものです。

 その頃の映画は本当に誰も彼もが歌っていた。中には蛇足で飽きるものもあるし、宝石のような名曲も沢山生まれた。加えて光るのは、名スター達が持っていたそれぞれの才能。スウィングの歌声や、タップダンス、シド・チャリースのような本当のダンサーとしての魅力。一方で、名作と呼ばれる内容、西部劇等があったわけです。

 これらは一見するとひとくくりの時代としてまとめられるようですが、この「ザッツ・エンターテイメント1・2・3」を観ると、その中にも時代の移り変わりがあり、美術・音楽・踊りなどの演出にじわじわと表れていてとても興味深いです。
 生きた美術様式の変遷を見ているようです。

 何にせよ、この間の時代ってワン・カットで随分凄いことやってのけるんだなぁ、と呆れる程驚くことばかりです。

 今日は昼間、アジアン雑貨の店に久し振りに足を運びました。
 一足踏み込んだ時にふわりと漂うお香の匂い。流れる水の音、爽やかな風を運ぶ南国の木々。
 そこでお茶をして一休み。
 
 力を蓄えたら、また頑張ろう。

 今必要なのは、美味しい空気です。

年の初め。

2004年1月1日
 新年明けまして、おめでとうございます。
 今年もどうぞ、宜しくお願い致します。

 風邪が治らず帰郷も断念して、静かな年越しになりました。

 今年の目標は「形を成すこと」でしょうか。
 家庭でも、創作でも、この辺で過去の仕事をまとめるという作業と、基礎を新たな方法で鍛え直すという作業をしたいと思います。より、確実な結果へと進めるように。

 チャレンジ精神はいつまでも。創作意欲は一生過去形にしない。

 後は、料理がもっと上手になりますように。

 熱はだいぶひいて、多少なら動けるようになりました。まだまだやるべき仕事はあるので、どうもゆっくり眠ってもいられないようです。

 それでもまだ、声は戻らず……。必死にしぼりだした声を聞いて両親に危うく悪戯電話と勘違いされそうになってしまいました。声帯が使えないのでひそひそ声で話すしかありません。ちょっと、怪しいかも……。
 
 相方とはジェスチャーを織り交ぜての会話。話せないとなると、段々シンプルになっていきます。 
 
 そうなると、心の中もすっきりしていきます。小さなことだと「いいか、別に」とか気にとめなくなります。
 そうすると、頭がすっきりして気持ちが楽になります。むしろ、静かで穏やかな気持ちになれるようです。

 病は気から。プラス思考でいきましょう。

 少し、帰国してからを振り返る。
 日本での今年のヒットは、帰国して間もなくの頃に見に行った、飯田深雪のアートフラワーの世界でした。

 飯田深雪という方は、100歳にしてフランスの大統領からレジオン・ド・ヌール勲章のシュバリエを受章され、日本を代表するアートフラワーの一人者とも言うべき人です。
 
 その作品を実際に目の当たりにした時は、とても驚きました。アートフラワーは勿論造花ですが、精巧であるというよりも「生きている」と錯覚をおこさせるような、生命力に満ち溢れた作品なのです。
 まるで、つい先日までいた、あのイギリスのフットパスにでも咲いているような、今にも風を受けてつつましく揺れそうな、花達。空間をまるごと持ってきたようなリアリティがありました。

 花が実物に似ているとはどういうことか。一枚として同じ様相の花びらや葉はない。風の形に曲がっているであろうし、小さく虫食いや枯れたりもしているかも知れない。そして、ただ偶然で隣り合っているだけでなく、生息条件が極めて近いもの同士の花や草木、そして季節。

 ほんの少しそういうものに目を向ければ、あの優しい自然は、鮮やかに形を成していく。

 そんなアートフラワーを使って、生垣を作ったり、真珠やレースとあわせて繊細な芸術を創りあげている。

 あのUKの自然と離れて寂しかった私は、「ああ、この方には、ありのままのあの厳しくも優しい、沢山のドラマが刻まれた、生命力に溢れる自然の姿が見えている」と、とても感動を覚えました。

 今は心の宝石となった思い出の風景も、このように自分にしか出来ない形で何か表せないだろうか。それが、これからの課題になりそうです。

 勿論、あのコルチェスターの森に住む巨大なリス達も共に。

夢でも。

2003年12月26日
 相方+義兄の風邪がしっかりうつって眠りの国のクリスマスでした。こういう時はどんなに寝ても眠れるから不思議です。

 小さな鉢植えのゴールドクレストとテーブルヤシに飾りつけをして、シンプルなクリスマス。こういうのもたまにはいいかもしれませんね。

 ずーっとどこにも行けなくてお留守番でしたが、夢の中はどうしてどうして、冒険三昧でした。種族の違うパーティで、その心の葛藤を聞いたり、雪の中仲間とはぐれて探している内に事件にあったり……なんか、久々に「夢ノート」を取り出して書いてみたくなりました。
 建物の描写を精密に復元する画力があればといつも歯がゆいですが、最近は割り切って文章でフォローを志しています。「見てきたように書く」チャンスですね。
 安上がりな旅だ。

 デスクトップPCの年内復旧は無理な模様。今使っているノートPCもそろそろ限界で頭を抱えています。

 来週には相方の実家に帰郷。風邪を治さないと味噌煮込みがー……。

 「なんにもしなくていい」から「とにかく寝てろ」と言われるのが、何故か嬉しいこの頃。早く家、片付かないかなぁ。
 

流れる時間の波紋。

2003年12月23日
 樹羅の葉から落ちた、言葉。

 もう、クリスマス。
 去年の今頃はどうしていたかな。
 あの大きな豚のスモークのオレンジ添えとか、塩味のきいたケーキとか、スパイシーなジュースはみんな夢のようでした。

 夢のようといえば、続くと思っていた時間が突然途切れる感触は、こんな時に感じます。

 両手の指先には、無数の時空線。
 それはかつての場所や、人々、この時間、様々なところに繋がっている。
 
 失ったことで強い絆を感じることもある。
 そしてその場所は、また増えました。

 また、会える。
 この指先の時空線は、繋がっているから……。


 相方の修士論文も無事通ってめでたくマスターを獲得。卒業式に行きたいけれど、会社はさすがに休めないかな。さすがに今度はブリティッシュ・カウンシルから飛行機代は出ないしなぁ……。あの博士姿の衣装に興味深々なのですが。
 給料はマスター出に昇進しないのかな。
  

小旅行。

2003年12月22日
 休日を使って姉夫婦の車で山梨県の石和温泉に旅行に行ってきました。
 天気が良かったので、富士山は絶景。河口湖、山中湖、紅葉台、御殿場のアウトレットモールと周り、名物のほうとうも堪能しました。ちなみにほうとうのお店は「小作」がお勧めです。

 気温はマイナス2度、紅葉台を上りきった展望台からぐるっとパノラマで眺めた景色が感動的でした。特に富士山はとても大きく、白く柔らかな輪郭線とは対照的な、雄々しい山肌が印象的でした。

 河口湖では、湖畔にある「わちぃふぃーるど」の美術館に立ち寄りました。
 やはり原画を見ると画力が凄い。確実なデッサン力あってのメルヘン的なアレンジだなぁと溜息の連続。世界もよく創りこんであって、そのどれにもとても愛情を感じて気持ちが良かった。「わちぃ」の世界はどちらかというとイギリスや北欧のイメージが強いのですが、独自の祭日や習慣などがとても自然に創られていて、ここまでやってみたいなぁといつも思います。
 隣にあった「オルソンさんのイチゴ畑」というレストランもお勧めの所。料理もイチゴも美味しかったです。

 さても。2夫婦で行く予定だったこの旅行。前日、相方が「どうしても温泉に入りたい!明日会社だから先に行ってて」というので、行ったのですが……。
 その晩、電話で「明日も会社になった、ごめん」と言われ……。
 お姉さん夫婦に預けられた形になってしまった。

 御殿場では相方から貰ったお小遣いを使って相方の財布を買いました。……この状況で仕事している人を忘れて遊び買いなんてとてもする気にはなれません。それでもお店はしっかり全部見て、フードコートで一休み。今にも丸焼きでもしそうなグリルな雰囲気の食堂の片隅にある、トナカイの壁掛けが時間になるとディズニーのカントリーベアよろしく歌いだします。シュールでした。

 生まれて初めての露天風呂は楽しかったです。椿の木に囲まれて、空を見上げれば満点の星空。話しも弾んでついつい長風呂(これも初めて)。でも露天風呂は忙しいですね。つかるとのぼせて出ると寒い。体半分でつかるとのぼせと寒さでドキドキする。上手な入り方ってないかな。
 
 色々遊んで帰宅。
 相方は既に布団にくるまって熟睡していた。
 最初は静かに寝かせておこうと思っていたけれど、そぅっと自分も寝る準備をして部屋の電気を消していったら、その静けさが堪らなく空しくなった。

 ぷつっ。

 M(私):「ただいま、ただいま、ただいま〜っっっ!」
 I(相方):「(おしつぶした→)……ぐ、ぐえっ。か。帰ってたのか?」

 いきなり胸の奥で何かが弾けて、涙がぽろぽろ出てきた。嬉しいとか、寂しいとか、怒りとか。

 M:「よくもドナドナ(某歌)にしてくれたにゃ〜っ!!」
 I:「売り飛ばした覚えはないぞっ?!」

 お土産話が終わるまで絶対寝かせてやるもんですか。
  

ベランダの楽しみ。

2003年12月17日
 アパートの周囲が全部一軒家なので、ベランダに出るととても眺めが良い。
 イギリスのアパートではベランダがなかったから、洗濯物でも干しながら風にあたる楽しみはなかった。その代わり、公園で散歩することもなくなってしまったけれど。あの巨大な灰色のリスに会えないことだけが心残り。

 ベランダの楽しみといえば、富士山がかなり大きく見えるのが嬉しい。日本晴れの日は雪化粧をした姿がくっきりと青空に輝いているし、夕方になると茜色の空に影絵のようにどっしりと腰を降ろしている。
 その姿はとても美しく、富士山の魅力にひきつけられる人の気持ちが分かるような気がしました。

 暖かくなったら、ミニテーブルでも出してお茶がしたいなぁ……。
  

食器棚のコップ。

2003年12月15日
 メッセージを下さった方々、ありがとうございます、ただいまー。こちらこそ、どうぞ宜しくお願いしますね。

 段ボールから食器類を出して食器棚にしまっていたら、大量のマグカップに棚一段占領されてしまった。ざっと20個以上はあると思う。これは処分しないといけない。
 さて、捨てようと思ったら、「これはお祝いに貰ったもの」「これは誕生日に貰ったもの」「これは旅行先で…」等々とどれも「いわく」つきでなかなか迷ってしまいました。

 日常も同じようなものですね。数日で今年も終わりというのに、予定と日数の数があっていません。オーバーしているー。どの予定も優先順位がつけにくくて削れないー。
 
 だけど何故か、その忙しさが胸に暖かい頃です。会えなかった人に会える。それが、不意に大切なことに見えてくるから、不思議。

 テレビを設置したついでに、スカイ・パーフェクトに加入してみました。なるほど、これはなかなか面白い。UKで見ていた番組もちらほらとやっているし、選択肢が多い。時代劇チャンネルで松本白鸚を見た時は少し感動してしまいました。

 オークションでBS機器や海外のデッキ変換機器を手に入れ、PCを組み立て直し……ああ、家の中がまたコード屋敷になっていく。

 自作PCを組み立て直し、電源を入れました。「コントロールパネルを開く命令は取り消されました」。
 ぷち。
 見ていた相方の目が光って、「中身、ごっそり入れなおしだね」。

 うーん、本格的な復旧はもう少し先になりそうですね……。
 

ご報告。

2003年12月11日
 9月。成田空港で懐かしい日本の土を踏もうと飛行機から一歩踏み出すと、思わず彼も私も叫んでいました。「水族館みたいー」
 その頃の湿気の高さといったら、まさに「これが日本」と実感しました。
 その晩から都心のホテルでしばらくステイ。窓から眺める摩天楼。ビルの森。ああ、帰って来たなあ……としみじみと懐かしさを噛み締めていたら、翌朝からしっかり「排気ガス」と強力な空気清浄機にやられて風邪&発作的な咳のヤマ。東京の空気は最悪ですね。うわーん、リスは森に帰りたいよー。
 ご飯はしっかりお刺身を食べました。お魚三昧。マグロもかんぱちも何でも食べられる。

 ああ、やっぱり日本に帰って来たんだ。

 それから早3ヶ月。新しい団地にも入ってようやく家らしくなってきました。120個の段ボールと戦いながら、家具を新調したり電化製品を買いなおしたり。業者の倉庫に保管していたエアコンとレンジとトースターが壊れていたのにはショックでした。保管料返して。

 新しい団地は眺めも環境も良い方ですが、上空が戦闘機の着陸コースなのが落ち着きません。基地が近いので毎日轟音と共にかなり低い高度で飛んでくるので、ドキドキが止まりません。見たことがない機体が沢山見られるのは興味深いんですけどね……。
 しかし、段々その日の風向きとか(逆風を狙って降りてくるから)、天気とか窺えるようになりました(悪天候だと凄い勢いで帰っていくから)。

 帰ってから毎日、24時間日本語の世界にいて文字通り「脳味噌が痺れる」のに悩まされていましたが、徐々に感覚を取り戻していこうと思います。まだ目がぐるぐるしています。
 PC環境はまだ仮の状態で成立していませんが、少しずつ書いていこうかと思っております。

 帰国の際に温かいメッセージを下さった皆様、ありがとうございました。
 そして、去っていかれた方々にはお別れの言葉を。お世話になりました、さようなら……。

 心のベクトルはまだ「吸収」のまま。これから何をしようか。それは風の吹くまま。

 風の便りに、FAME ACADEMYで応援していたALEXが優勝したと聞きました。世にデビューして評判も良かったとか。

 目を閉じている間に、風は色々変わったようだ……。

 さしあたり、ご報告まで。
 

樹羅は眠る。

2003年9月21日
 今日は送別会に行ってきました。さすがにロンドンはお店があか抜けています。スペイン料理はとても美味しかったです。沢山お話もできて、本当に楽しい時間を過ごしました。開いて下さった皆様にはこの場を借りて改めて御礼を申し上げます。

 この家とはもうお別れ。UK生活は、発見に満ちた、とても有意義なものでした。
 アクシデントやハプニングに出会う時、二人きりの生活の厳しさを知りました。同時に、日本の家族や友人達のありがたさが心に沁みました。
 海外にきたことで、本当の結婚生活が始まったような気が致します。相方とようやくじっくり話し合う時間をもつことができ、また自分の時間をもって創作に望むことが出来るようになりました。

 ツクールを通して知り合うことが出来た皆様にも、御礼を申し上げます。創作における様々な刺激を受け、時には考えさせられ、楽しい時間を過ごさせて頂きました。色々と学ばせて頂きました、ありがとうございます。
 皆様の、より一層のご活躍をお祈りいたします。

 またこの日記を読んでくださった方々、友人、知人、家族、そして登録して下さった皆様、本当にありがとうございました。

 日本に帰国するので、これより、短くて一ヶ月〜二ヶ月程この日記を休止させていただきます。


「言葉は、海を越えるだろう。

 日常は、常に変化することだろう。

 普遍的なものなど、どこにもない。

 己にすら、その変化は常に求められる。

 いや己にこそ、その変化は常に求められる。

 けれどどこの地に根を下ろそうとも、

 その瞳は常に懐かしいものを見つめているのだ……。」


 樹羅は静かに眠る。
 その幹の中に通り過ぎた季節を抱きながら。

 新しい風の詩が、聴こえる日まで……。

モーグリの皮。

2003年9月18日
 船便の段ボールを出して、家の中が一気に広くなりました。うーん、気持ち良い。

 引越し屋が作業をしている時、お隣のおじいさんが驚いたようにやってきました。日本に帰るというと、また驚いて、軽い挨拶をしました。その後は廊下でおじいさんの知り合いのおばあさんとも出会って、立ち話。

 おばあさんは帰るというと残念そうにしてくれて、それから滞在はどうだったとか色々話して、ふと私の手に目を留めました。
 「あなた達結婚しているのよね?」といって私の左手の指輪を眺めて、「あらー、小さくて可愛らしい手ねー」とキュッと掴みました。
 楽器やるのに小さい手が昔からの悩みなのですよね……。

 それから、飛行機で14時間くらいかけて帰ることをいうと「随分遠いのね!」といって驚いた後、「気をつけて帰るのよー」と、私の頭を軽くぽんぽんっ。

 ……あう。

 日本人は比較的外国人から実年齢より若く見られるのはよくあることですが、いやいくらその昔ずうずうしくも海外で15歳まで12歳料金で入っていたこともあうう……さすがに私もそろそろイイ歳になってきましたよ(TT)。

 絶対、相方と同年齢に見られてないと思う。

 モーグリの皮はまだ賞味期限が切れていないようです(逃。

 その晩は丘の上まで散歩をして食事に行きました。見慣れた商店街、教会、家々の明かり、森や川の匂い……。

 思い出も記憶も、荷造りの時です。

旅の始まり。

2003年9月17日
 今日中に船便と手荷物の詰め込みを終えるため、朝からウロウロしていました。入れてみると、「こんなにあったっけ?」というくらい、細かいものが出てくるんですよね。

 カーテンをクリーニングに出しているので(洗濯機に入らない)、その間窓をTシャツやダンボールやシーツで覆っているので凄く怪しい家だと思われているかも知れません。

 日本での新しい家が決まって、早速ネットで地図を検索。都心にも会社にも随分遠くなったけれど、町の事情は大分ましな様子。新しい町を調べるのは楽しいですね(RPGな発想)。帰ったら歩きまわってみよう。焼肉屋は必須でしょう。

 しかし、かつて通った大学に近いのは因縁だろうか。交通費泣かせな場所です。

 テレビでインド系コメディーのKumar一家が始まった。家にゲストを招いてKumar一家がシュールな質問とギャグでちゃかしまくるショーをLiveで届ける番組なのですが、観ていると凄い関西系ギャグに似ています。やっぱりどこかアジア系に通じるものがあるのでしょうか。なのでウケまくってました。

 こちらはコメディー番組がこれでもかというくらいありますが、なんか主人公の設定も「もうなんでもあり」という感じがします。「不幸なホテルの主人」「女房に逃げられたタクシードライバー」「スポーツ選手の代理人(?!)」「歯医者の一家」「病院」Etc.。いいのかそれで。

 家を出るのも後一週間。今週いっぱいでネットも停止になります。
 

開かれる時間の扉。

2003年9月15日
 ウィンダミア+ロンドンへ小旅行に行ってきました。旅の様子は、少しずつ書いていこうかと思います。とても得ることの多い旅でした。

 今日のところは、疲れたのでほっと一休み。

 あらゆるシーンで創作する人々を見ていると、とても豊かな気持ちになれます。過去の人も、現在の人も。遺された輝くもの、創りあげられていくもの。
 旅の中で目にしたものは、遙かに高い山でした。恐らく、これから何百年経とうとも、その輝きは永遠に失われることはないと思われるものです。
 漲る力、創作者の手を離れても衰えることのない生命力。そして、創作物に溢れる程の愛情が注がれているのを感じました。
 鋭い観察眼と巧みな技術、そして豊かな心と驚異的な想像力、情熱。創作物の中で語ること。

 百年後の人にも自分と同じ時間を過ごしてもらえるようなものを、創りたい。

 なかなかに有意義な旅でした。
 明日からまた引越し仕事だー。

 ホテルのテレビでフランスのテレビを見たら、UKで人気のFame Academy(歌手養成番組)と全く同じ「Star Academy」というのをやっているらしい。……どこの国も。

散歩道。

2003年9月7日
 今日は大学に寄ってハイ・ストリートに出た帰り、いつもと違う道を歩いてみました。

 そこは川沿いの、一見すると見逃してしまいそうな、小さな入り口のフット・パス。
 民家の畑や庭の間を小道が通っていて、犬・子供禁止になっています。でも犬の足跡が沢山ついていた。
 途中、カボチャやベリーがなっているのを眺めながらゆっくりと歩いていると、やがて川に出ました。大きな葦が風に揺られている様は、なかなか堂々としていて迫力があります。
 結構家の近くまで続いていました。

 最近、筋肉痛でぼきぼきです。

 テレビでかなり頻繁にincredibleを聴くけれど、あれはどういうニュアンスで使っているのかな。随分気軽に使っている様子ですね。

今夜もまた。

2003年9月6日
 お土産のリストを作成したら結婚式を思い出しました。紅茶が好きな人は助かります。

 自分用にはスーパーでスープとかスープとかばかり収集しています。お気に入りはブロッコリー&スティルトンのクリームスープです。

 まあ記念にとロビー・ウィリアムのCDを買おうかなと思ったら、端に「Parent check」と表記してありました。要するに、公には18禁ではないけれど両親のチェックをということなのですね。このCDの中の「something beautiful」の曲が欲しかったので買いました。

 何とかして最後の旅には行きたいな。ヨークまでは行きましたが、レイク・ディストリクト(ピーターラビットの里)はまだ観光したことがないのです。

 レイク・ディストリクトはナショナル・トラストが最大規模の土地を所有していると聞いています。会員第一号はピーターラビットの作者、ベアトリクス・ポターの父親なのだそうですね。
 時間のない旅においては交通を懸念してしまいますが、かつてディストリクトの鉄道敷設を反対したのはかのワーズワースであったりジョン・ラスキンだと聞くと、自然を愛する心と共に多少不便でもそれが良さかと納得する気持ちがわいてきます。

 楽しいことを考えて力を充電。頑張って段ボール詰めを終わらせてしまいましょう。

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