目を開ければ。

2004年3月9日 趣味
 とある眼科で検査したところ、活字酔いの原因は「老眼」だとか言われました。生まれつき遠視なのは分かるけれど、ちょっと待って、まだ二十代ですよ?!海外の仄暗い間接照明暮らしがそうさせたのか、年末の風邪で寝てばかり生活の結果か、ブルー。
 先生「まあまあ、そのうち年取ったらもっと本とかテレビとか見えにくくなるだろうけど、遠くの富士山だけはいつまでも美しく見えますよ」
 ……先生、美しくまとめられても嬉しくありません(TT)。
 眼鏡をかけたら楽になるのでしょうけど、老眼鏡だけはまだ待って、それだけはまだいやー。
 なので、目を鍛えようかと思っております。

 本というと、相性の良い本というのは最初の一行でぴんとくるものが多いです。実家にいる間に父の書斎で見つけたルナールの「博物誌」もそんな本です。ルナールといえば「にんじん」で知られる人ですが、この博物誌はかのラヴェルもここから数曲作り上げただけあってとても絵画的・音楽的な要素を含んでいると思います。その内容はピアノの小作品集のように、それぞれリアリティがありながらドラマチックな展開を小説のような描写で書き綴っている。表現はとても瑞々しく、いかにも人間の感性で生き物が描かれている。だが想像の産物ではなく、これはあくまでもリアルな描写なのです。

 春のお陰か、食欲も外出も楽になってきました。自然治癒力で痺れも治ったらいいのにな。
 筆ペンで頼まれていたモモちゃん(ももんが)のイラストをぼちぼちと描く。モデルの写真を見るたび悩殺の嵐でした。寄り添う3匹のモモちゃん、か、かわいすぎる……。

風花の舞う頃。

2004年3月6日 日常
 人間ドックやら内科やら行きながら、しばらく実家に行っていました。
 窓の外で、ちらりと雪が降った。上空には雪雲もなく、短い間だけの、地面に触れることさえなく消える雪、風花。これから道を歩く人には、雪が降ったことさえ気づかないだろう。
 それでも、雪は確かに降っていたのだ。何処と知れぬ場所から舞って来て、確かに私の瞳に映っていた。
 風花が愛しくなるのは、その儚さ故なのだろうか。

 気づかない間に、少し無理をしていたようです。
 人間ドックは値段こそ高いけれど、緻密な検査結果が出る分、受けて良かったと思いました。
 左半身の痺れの原因はまだ判明していませんが、左半分の顔面は少し腫れていたようです。

 当面の問題は、眼圧にあるようです。左眼圧が限界値にあると言われ、これ以上圧力が高くなると緑内障や様々な問題を引き起こすそうです。
 活字酔いや顔面硬直の痛みはこれだったのですね。納得しました。
 早速、眼科を探します。
 後はやっぱり歯。噛み合わせが少し変わってしまっていて、そのせいで奥歯が不自然に尖り下の歯に突き刺さるようにかみ合わせていたとか……。そういうことってあるんですね。これは治療して解決しました。嘘のように痛みが治りました。食欲が戻って一安心。

 後は肝臓の若干の問題解決と、首のMRIをとって確認すればもっと良くなるかと思われます。
 当分眼を控えめに使いながら、お医者様通いとなりそうです。

一息。

2004年2月28日 日常
 相方がいる時といない時の躁鬱が激しいような気がするこの頃。
 何故、一日2時間くらいしか顔合わせないのにこんなに振り回されちゃうんだろう?

 最近は一人でいる時間が本当に長い。
 体調崩してから人付き合いも断って、家にいることが多い。
 当たり前の暮らしが当たり前になるまで、時間がかかっている。

 それはやっぱり、新生活の中で戸惑うことが多いからかも知れない。
 変わったのは、空気や食生活や国民性やリズムだけではなくて、自分が何かしらの局面にいる、ということ。
 今、何をすべきなのか。
 何かが見えない。
 見えないから、真っ直ぐに歩いていけない。
 知らない間にストレスもたまる。
 周囲は本当に変わった。友人も、家族も、相方も。
 私は立ち止まってはいけない気がする。
 だけどどこへ向かうべきなのか、まだ見えない。
 今まで通りではいけない気がする。
 それを見つけないと、輝くことができない気がする。
 輝くことができなければ、良いものを創りだすことが出来ない。

 創作は内面を映す鏡でもある。
 この迷いも、無駄になることはないのだろうか。

飛び立てたら。

2004年2月26日 趣味
 薬で正常に戻っているだけと分かっていても、痺れていないと何かしたくなります。前世が鳥だったら、きっとかなり脱走癖があったに違いない。むしろあれですね。籠の中にいるくせにしょっちゅう羽ばたきの練習をしてるやつ。
 窓の外には、おもしろいインスピレーションが沢山落ちているから。
 じっとしていられないんですよね。

 久しぶりにツクールをあけて、簡単に小さな物語でも作ってみる。絵などはそのままだけど、ただそのままでもつまらないので「汎用RPG呪文ガイド ガープス・マジック」の本を引っ張りだして滅多に使わない種類の魔法をもつ主人公を設定してみる。馴染みのない能力を持っているだけで、頭の中に色んな物語が浮かびます。本当にさくっと楽しむだけの小さな遊びなのですが、こういうことをしているときはとても充実しています。

 それにしても、段ボールの中からアイテム・コレクションとかシティ・コレクションとかファンタジーメイキング、色とりどりのクリスタル・ダイス……学生時代が伺い知れますねぇ……。

お医者週間。

2004年2月25日 日常
 左半身のしびれの原因を解明すべく、内科や歯医者に行きました。

 内科での診断は「首かも知れないねぇ」と言われ、とりあえずお薬をもらって様子をみることにしました。飲むとたちまち目の焦点が合わなくなる程眠くなる薬ですが、効き目は上々で、「痺れていなかったらこんなに意識が楽なんだ」と少し感動しています。

 歯医者での診断は「噛み合わせが原因かも知れないねぇ」と言われ、その原因は歯茎が少し腫れてしまっていることなのだそうです。先生の腕前はなかなか確かで、少し削って歯の噛み合わせを調整したら、眼が楽になりました。しばらく様子をみることに。
 しかし、ここの先生、患者の歯をがりがり削りながら鼻歌で「きよしこの夜」を歌っていた。……只者じゃないかも知れない。

 行ったところなりの「結果」が診断されたのは収穫なの……かな。
 だけど、さて問題。左手の中指を痺れさせている原因は何でしょう?
 その答えは、来週の人間ドックに期待することにします。診察料4万円は痛いー。
 けれど、もう早く元気になってばりばり創作したいー。

 P.S:おねーたんへ。
     コンサートお疲れさまでしたー。

花に春に。

2004年2月22日 日常
 春めいてくると匂いや香りに敏感になるのは何故でしょうか。

 散歩に出たら、そこかしこに「春」を感じます。
 「春」の匂いは凄い。風の中に土や花の香りを感じるだけでなく、何かしら期待に満ちた生命力に溢れています。
 家々から香る石鹸やご飯の匂いも、公園の金属臭さも、建物の影の古びた石の匂いも、「春」はみんな丸く包み込んで優しい記憶と共に心を過ぎっていく。
 一日の終わりにはお日様の匂い。

 UKだったら植物や木々の匂いで季節を感じるところですが、日本のこの生活観溢れる四季の匂いも面白いですね。何だか、忘れていたものを思い出します。日本はこんな感じだったんだなぁ……。

 それから、「ああ、この町もこんな表情をするんだ」とちょっと安心したり。

 玄関に飾った花の香りが、部屋いっぱいに広がって家の中も「とっても春」でした。

水色の鍵。

2004年2月20日 趣味
 落ちパソで書いたら一回消えたー。
 JAZZ、どうしてくれようか。

 夢日記の清書作業を着々と進めていました。芯になる設定がどうにも曖昧なので自分世界の一つに設定を重ねたらうまくいきそう。竜城人(竜世界の者)ということでGO。マイ世界も広がるし一石二鳥ですね。
 執筆テンションのパワーが足りないときはテーマCDを選び出してかけっぱなしにする。文章書くときは昔からまずはじめに必ず「夢の力」(破妖の剣)を聴きます。力が漲ってきたら一気に書く。

 今回鍵となるものに『水』があるので、清書する一方で水に関する様々なことに触れて考えています。音楽でも絵画でも、夢はどんな表情を語ろうとしたのか。それがキャラの性格に影響するらしいです。
 第2の鍵は『絆』。これはちょっとありがちだけど、「大切なもの(愛とか恋ではなく)」を失うこと、それが目の前で形を変え、白紙の状態で存在し、関わっていかなければならないこと。夢の中でキャラに憑依したときに、全然自分が思っているのと違っていた。知らなかった感情を、描いてみたい。

 熟成させつつ、いろんな角度から考えていこうと思う。
   

それでも。

2004年2月18日 日常
 お約束通り左神経を使った反動の激痛に転げまわり、布団カメさんになっていました。
 それでも、スランプ時の自分よりかはましだと思う。

 「夢は原石でしかないから、後は君次第だね。」
 当たり前だけれど、プレシャーを帯びた相方の言葉。昔から、何かしら創作でハイになっていると冷静な一撃をくれます。
 しかし、夢で見たものを実際に人に伝えるのは結構難しいことだと気づきました。特に神秘なものになると、夢見ないファンタジーあまり読まない人に伝えるのは結構大変。本人にしてみれば「だって見たもん」ということになりますが、彼に言わせれば「筋道が説明しきれないうちは詐欺な存在」らしいです。
 夢は神秘な感触しか残してくれない。謎かけのように。

 近年相方によく言われる言葉は、「苦しみが足りない」、と。
 だから後一線が越えられない、と。
 相方は仕事と趣味をもくもくとこなす人なので何も言い訳できないです……。
 
 絵に描いたような虚弱に転落しつつあるけれど(外出も食事も殆ど出来なくなった)、それでも心の中に潜む世界がまだそこにあることを、夢が教えてくれた。
 だから少しずつでも、進んで行こうかと思います。
 海外にいる間に少し渇いてしまった感情の豊かさに目を向け、もっと繊細な言葉を増やしていきたい。それには、自分自身がもっと繊細でなければ……。

 そうして「希望」をもって生きることが、また元気になる道標のような気がします。
 

夢は笑う。

2004年2月17日 日常
 衝撃的なことって突然ふってきます。
 それは、夢の中。
 思いもしない場面で現れて、起きている時には考えつかないネタをのこしていく。
 
 まだ、暗いうち、突如眠りから覚めた私は枕元の「夢日記」に手を伸ばして雷に打たれたように書きまくる。まだ、半分夢を見ていたのかも知れない。そして細かい箇所を付け足し、しばらくシャーペンを振り回して考え、そこから先の部分が自力で続けられないと悟ると、再びノートを放り出してまた布団に潜り込みました。
 
 ちょっと、明るいうち、目が覚めた私はまたノートを取り出して再び水が流れるようにペンを走らせる。今度は満足したのか、起きだしてご飯を食べる。

 夢と現実の共同作業。今度は夢はしっかりした設定をのこしていってくれました。すぐに眠ると続きが見られるので便利です。自分の頭で考えるとこうはいかないかも。

 後で読み返すと、結構……コバルト系?(がーん)。
 多分、実写で見た時に文に書きおこす腕前がそっち系なのに違いない(言い訳)。
 気が着いたら、ノートに小さい字でびっしり25枚書いていました。何でそういう時って筆が早いんでしょう。

 夢が願望を映す鏡なのだとしたら、多分「わくわくに飢えている」「感動に飢えている」「キャラに飢えている」「ネタに(略)」ということになるのかも知れない。
 せつないキャラが大好きです。やるせない状況が大好き。
 体調云々で創作体力だけ無駄に余っていただけに暴走した筆が止まらない。  

 夢が突き動かすペンへの衝動は、左半身の痺れもものともしない。他のことが考えられない(相方のお弁当作るのを忘れた)。
 一日中、かかりきりでした。

 思いがけない、プレゼント。
 ペンの走るさらさらした音が気持ち良い。
 久し振りに充実した時間でした。
   
 バレンタインは、相方に自由な休日を過ごしてもらうことから始まりました。そういう休日は案外結婚してから少なかったように思います。
 相方はほくほくと鉄道関係の店を覗いたり、散髪したりしていたようです。
 私はその間、ごろごろころころ(え)。
 そしてお土産に買ってきてもらった山ほどのインコ雑誌&インコマンガを読んでいました。インコはほとんど「ボケ」に徹しているのでやはり面白すぎ。どんどん戻れないインコの道へ……。
 「おかえりなさい」「ただいま」
 なんてことのない会話で、終わる一日。相方は遊びから帰ってきた子供みたいな顔で、嬉しそうに名鉄の目覚まし時計を見せたりしている。何ヶ月も休日出勤か家の仕事ばかりだったので、デートはお預けにして「遊び時間」をあげることにしました。
 
 ……でも、本当はプレゼントが間に合わなかったんだけどな。

 翌日、生チョコと木苺のジャムをあしらったチョコレートケーキをプレゼントして、小さなお茶会をしました。

 お世話になっている皆様にも、感謝の気持ちのチョコを……★ 

いつでも。

2004年2月13日 日常
 午後の紅茶のレモンティーを買ったら、原材料には「レモン果汁」と書いておきながら、前面ラベルには堂々と大きな文字で「無果汁」と書いてありました。

 それって、どういうことでしょうか?

 活字酔いと戦いながら読書をしていますが、一冊につき4時間の休憩では一日が終わってしまう。マンガでは酔わないのに何故でしょう……。ああ、しかし挫けたらどんどん日本語力が空洞化しそうで悩む。何故か帰国してから焦っています。
 なのでせめてマンガは読んでいよう。古本屋漁りもなかなか楽しいです。

 数週間後に精密検査を控えて、少し冬眠気味です。
 何にせよ、左中指の痺れが心配。周囲から「首だ」と言われていますが、首で思い当たるのは過去一回の交通事故しかない。個人的には目とか神経だと予想しています。
 たまには、右利きになる特訓くらいしておいた方が良いのかも知れません。
  
 SFCのソフトを少し整理しようかなと思います。
 恐らく真っ先に処分するのは「ライトファンタジー」でしょう。曲も雰囲気も絵も仄々な戦士物シュミレーションRPGですが、セリフが全部マンガ文字で絵記号が飛び交い、ゲームバランスが悪いので挫折した思い出があります……。マンガ文字でシリアスをやられても、うーん。
 
 意外と捨て難いのはアクションRPGで、萩尾望都のデザイン画の(名前を忘れてしまった)父親を探して世界の遺跡に挑むアクションゲームはなかなか独自の雰囲気を持っていて良かったと思います。イースとかは絶対手放す気はありません。

 PS2「ひつじ村」
 気がついたら犬だらけの牧場になっていました。3年かかってやっとガチョウとヤギを手に入れ、ウサギ・ニワトリ・マーモット等ほぼ家畜動物園に。今はシェルティとシバを育てるのに夢中。餌の工面だけでほぼ一年が終わる。ひつじ飼いへの道はまだまだ遠し。地味だけど、妙に充実しています。ただ音楽は、「牧場物語」の方が好きかな、と思ったり。

 どこか広い公園か森に行って、思い切り深呼吸をしたいな。
 テレビで秋吉敏子のオーケストラ日本公演を見ました。

 この方は有名なジャズ作曲・演奏者ですが、演奏を聴いたのは初めてです。
 前日にオルケスタ・デ・ラ・ルスを聴いたせいか、とても対照的に感じました。
 普段よく耳にするジャズと違い、情熱的であるとか、小粋とかリズミカルであるとか、甘い、物憂げ、癒し、快感、そういった全てのある種世俗的な感情からはどこか離れたところにある音楽だと思いました。
 強く惹きつけたり、旋律を追う面白さがあるわけでもない。しかし、それは一音一フレーズだけでは解決できない音の物語を脳裏に深く刻み込むものでした。

 これは、美術館に足を踏み入れた時の感覚、眺めていた絵の残像に似ている。歌として叫んでいるというよりも、空間に音楽で物語が織られていくような感じがしました。何かの場面を、オーケストラというフレーム、音という絵の具で描いたような。

 その音楽は、ある一線を越えた芸術家達が持っている、「艶消しの魂」の心地良さに似ています。

 この世界に触れるたびに受ける感情が、感動と呼ばれるのかは、分からない。

   
 小動物飼いたい熱を鎮めるかのように動物関係のメディアを漁っています。
 ふらっと寄った本屋で「文鳥様と私」を買い、シマリスのDVDを見て、「ひつじ村」をプレーし……。

 そこに何かを求めているに違いない。
 ああ、シマリスでもハムでもインコでもいいから飼いたいー。
 でもげっ歯類には相当かじりがいのある家なので(コードだらけ)、やっぱり鳥が飼いたいー。

 「文鳥様と私」は笑いました。夕方になると夕日に向かってぶつぶつ言い始めるところ等インコとよく似ている面もあるけれど、やっぱり文鳥の方が天真爛漫で傍若無人なイメージがありますね。
 友人からの年賀状に「にぎり文鳥」の写真がありましたが、体温が低くなると結構甘えてくるらしいですね。
 インコで考えると「重くないか?」と思いますが、文鳥は22〜25g、インコは平均34g、文鳥は軽いのですね。

 ハヤカワFTのマジカルランド・シリーズをずっと読んでいますが、一つの章の物語を主人公サイドと脇役サイドから2冊で刊行したのは意外でした。脇役サイドだと外伝扱いにはならないのかと思いましたが、そちらに物語の結論を添えることで本編にしたようです。
 しかし、何も知らずに読むと些か「何のためにそうしたのかな?」と思わずにはいられない。多分、作者のためなのかも知れませんが……。書いている方からすれば美味しい作業には違いない。首を傾げておきながら、作者が「書くことの楽しさを再認識しました」と書いているのを見ると、「何だ、同じことで悩んだりするんだ」と微笑ましく思ってみたりもします。
 まあ、幻想文学系ではないし、硬いこと抜きのFTだから面白ければ良し。

 とある書物で日本におけるモダン・ファンタジーの草分けは泉鏡花と夏目漱石とありましたが、その解説の目のつけどころは割りと良かったと思う。海外ファンタジーの方法論をそっくり用いて日本の物語として描くか、海外ファンタジー風に装いながらも日本の日常生活感を現実的に描いたものか。
 この二つの方法は、今日、目にするものの最も身近な要素に関係するものと思われる。

 今日のファンタジーの種類はもう木の枝程に分かれているので一つ一つ考える気はないが、そもそもファンタジーという言葉は15世紀には存在しており、「目に見えるようにする」という意味で使われていた。目に見えないものを描く文学ということであるが、それは絵空事だけではなく、歴史の歯車の一本のネジが何で出来ているか描いてみせたり、変化するものに対して何が具体的に変化しているのか、とりわけ心情などを描いてみせるものであると言えるだろう。

 私がその著書で気に入っているくだりは「ファンタジーとは現実を破壊する要素を持つ文学全てに適用されるもの」というもの。そう言われてみると、文学問わずそこいら中が既にファンタジーで溢れている気がする。殊に街中は彫刻の一つにいたるまでファンタジーに見守られているかのようである。

 話はそれたけれども、主にファンタジーは文明の加速度合いの大きい時期や、歴史が大きく転換する時期に集中的に現れているという。80年代後半もその一つと言われるのも分からなくはない。ビデオデッキが高価なものだったのがいきなりDVD、PCと特に機械類は目まぐるしかった。都市開発やバブルなど、歯止めのきかない時代に危険な平和ボケと真実を見極めたい不安に苛まれる人々が交錯していた。
 自分を振り返った時にその影響がないとは、言えない。
 それでもファンタジーは常に憧れと警告を発信するものだと思っている。
 
 それで、マジカルランドに話しを戻すと、従来の自然との格闘とか神話への挑戦とか中世への回帰とか全然関係がない。
 どこから見ても、立派に現代アメリカベース。魔物の性格もアメリカ人。
 ハヤカワFTを読んでいるとそれぞれの国の性格がはっきり出ていると思う。
 どうでもいいことだが、若者向きのFT小説では日本の小説の村人が一番腰が低いかも。

 私はメルヘンと児童文学が混ざり合った異世界寄りが好きです。帰国子女の経験あってか、「何人寄り」という眼鏡でみられるのは一番苦手です。だから枠のないユートピアに憧れるきらいがあります。 

 ここまで考えてみたけれども、自分のファンタジーの根元や、一番近い分類を模索してみるのも興味深いかと思いました。
 

紅茶を一杯。

2004年2月8日 日常
 秋葉原に行きました。
 色々変わっていました。駅前からゲーマーズのビルとは濃い〜。行きつけの店も様変わりしたり移転したりと探すのに戸惑いました。
 修理に出したノートPCを引き取りに行きましたが、色々店を覗いて思ったのは、ゲーム関係の店に一時の勢いが無い、ということ。特にPCのゲームソフト売り場は大人しくなった感じがします。
 ソフトは減っていないのでしょうけれど、何ででしょう?
 まあ、前の方が単に派手すぎだっただけかも知れませんが……。
 それでも相変わらず、アニメな町でした。

 相方に付き合って鉄道模型屋巡りをしましたが、こちらは一層パワーアップしていました。車両だけではなく、道具も機械もここに来れば揃いそうですね。
 私も触発されてジオラマをやりたくなってしまいました。
 でも、自分世界のジオラマを創るのもちょっと楽しそうだなぁ……。

 自分に出来ること、一個ずつやればいいのかな。
 始まりは不器用でも、焦らずやればいいのかな。
 わくわくすること、増やしたいな。

 楽しい時の心は、温かい。
 夜から明け方の間に日記をつける習慣がすっかり定着してしまいました。ふくろうへの第一歩。

 荷物の中から、中学の卒業式の写真が出てきました。空港で撮ったツーショットとかあって、お互いに変わったーとか変わってないーとか月日を感じました。でも身長差は変わっていない……。あのとき帰国の飛行機が一緒じゃなかったら、相方と続いていたかなぁとも思ったり。
 転勤ばかりで友達も縁遠いかと思ったら、いつの間にか幼馴染が増えていたり。
 時々振り返ると、色々やってきたなと安心したりします。

 最近主婦の友達が仕事にリターンしたいという話を聞いていると、手に職をつけてキャリアアップしていくんだろうなーと羨ましくも思います。とにかくタフな人に憧れます。
 でも彼女達からすると、主婦業も自分で行動を考えなくてはならないから、ストレスなのだそうな。
 何事も一長一短ですね。

 そうこうしていると、荷物の中から「自分史年表」という冊子が出てきました。これは以前少しだけ本関係で仕事をしていた時に、本を作りに来ていたお爺さんから頂いたもの。お爺さんといっても「骨太至上主義」のようながっちりした体格で、私を見ると戦争時の話をしたがる逞しい人でした。
 その方が、「こういうのをつけているとね、いつか歳とって読み返した時に人生実感するよ」といわれて一冊くれた物でした。私は日記をつけ始めるまで過去は記載しない方だったのでその時もぴんときませんでした。
 今改めて手にすると、結婚して人生も一区切り。過去の海外生活のこととかどこかに記録を残しておきたいと最近は強く思います。
 まあ、自分史という程のものではありませんが……(ムーミンパパは40歳から書くべきだと言っていたし、私もそう思う)。

 とりあえず興味が湧いたのでぱらりと一ページを捲って覗いてみる。 上段は時事年表、下段は自分史年表を書き込むスペース。

 ……。
 江戸時代からありますが……?

のび伸び。

2004年2月4日 日常
 一晩寝たらすっきり。
 心のストッパーが落ちると睡眠に走ります。
 書いたら本当にすっきりしてしまった。
 きっと、時間が解決する。
 昨日より素直に、なれたかな。

 SFCを引っぱりだしてミスティック・アークしてました。
 このゲームはオチとかはっきり言ってサギだと思ってましたが、主人公やキャラが好き。特に主人公のキャラチップの金髪の柔らかさやツヤがあんなに小さいのに綺麗に出ているなと思います。縁取りしたような影もちょっと気になるところ。
 徹底したおつかいで曲とか結構重いのに世界観がメルヘンなのも不思議な存在。モンスターや戦闘画面はちっともメルヘンじゃないのでますます不思議な存在。
 マップチップとかあまりごてごて使っていなくて、あ、これでも充分なんだとSFC時代をしみじみ思いました。
 一人で散歩する気分で歩けるゲームなのが気に入っています。主人公を独り占めしたいときに。
 それにしても、SFC時代のゲームをしていると、昨今の長編RPGに比べてダラダラ感が少なくて、短編集を読んでいるみたいに一つのイベントをさくっとやれるので楽です。
 反対に今のゲームは本当にリアル感覚なんだなあと妙に感心したり。
 
 キャラツクのソフトを入れて少しずつ再開したいけれど、今気になるのは配色とデザイン。少し遠回りしても、絵の勉強をしなおそう。デッサン倒れも悲しいですし。

 ……にしてもお弁当つくりが眠いー。お弁当と朝ご飯のダブルで調理場が朝から戦場に。家にいるのに自分のお弁当箱も用意して一緒に詰めています。お昼を考えなくていいのでお得です。
 今週は仙台土産の牛舌が主役の座を占めています。厚さ5ミリ以上なのはさすが仙台ですね。
 ずっと、ずっと走りつづけてきた。

 思えばなんて遠いところに来たのだろう。

 気がついたらもう届かない。

 まだ、私は目にしているものの半分も謎を解いていないのに。

 それでも、走るしかなかった。

 目を、開けたくなかった。

 開けてしまえば、瞳の中に映る自分を見てしまうから。

 私は見たくなかった。そんな自分は好きじゃなかった。

 だから目を閉じたまま、ずっと走りつづけていた。

 だけど、もう私には支えきれない。

 誰にも聞こえない風となって迸る心の声。

 不安だった、寂しかった、切なかった、焦っていた、素直になれなかった……。

 全てが変わってしまった。時間は容赦なく私の瞳に問いかける。

 どこへ行くのか、どうするつもりなのか。

 どうしたらいいのかは、分かっている。

 だけど今の気持ちではまっすぐには進めない。

 置いてきてしまった、日溜り。

 手を伸ばしていますぐに戻りたいのに。

 それは叶わぬ願い。

 青空よ、受け止めて……。

区切り。

2004年2月2日 日常
 ちょっと出かけているうちに色々変わってしまって戸惑っています。

 楽譜でいう、ブレスや切りかえしがあるとさっぱりしますね。深呼吸。

 美容室に行って髪を切りました。結構短くしようと思って行きましたが、美容師さんの方が驚いてなかなかはいと言ってくれないんですね。
「本当にいいんですか?」
「本当に切りますよ?」
「もう戻れませんよ?」
 また伸びてきますってば。まるでローマの休日の一場面のように、ためらわれてしまいました。しまいに美容師さんは気合が入ったようで思い切りばっさりやってくれました。
 20cm切るのってやはりスペクタクルなんでしょうか?

 久しぶりに銀座や鎌倉の町を歩きました。やはり慣れ親しんだ場所を歩くと安らぎます。鎌倉の町はあまり変わっていませんでした。古本屋、クレープ屋……。
 おみくじで大凶が出ましたが、かえってほっとしました。どん底にいるなら頑張ればいいだけだから。「自分を見失わずに目標に一歩踏み出せ」とありました。どこかで大きな人生の歯車が「ごとっ」と音を立てて回ったような気がしました。

 体調の方はどうやら自律神経をやってしまったようですが、徹底検査まではなんとか薬でやれそうです。立ち止まってはいられない。それなら上手く付き合っていくべきだ。

 ダンボールからツクール他ソフトが出てきた。しかし修理に出したノートPCは未だ戻らず……。自作PCは……。
 電源もさることながら、ビデオカードのレベルアップ、静音のROMドライブと施したいことが沢山ありすぎます。

 あああ、まず一歩踏み出すべきは「貯金」かも知れない。

今はずっと。

2004年1月26日
 結局のところ、好きなものからは離れられない。
 
 今はずっと、本を読みつづけているのが心地よい。

 そうして、自然に心と体の中で物語が熟成されるまで、じっと物語の世界に浸していく。

 つまるところ、始まったら、言葉はいらない。

日向に変わる町。

2004年1月25日
 相方が出張で留守なのを利用して、両親が家に遊びに来ていました。
 両親は明るくて華やかで歌好きで春風みたいな人達です。いつの間にか、私の体調も良くなっていました。「ときには気力でも頑張って風邪に力のあるところを見せてやりなさい」とは案外的を得ているかも知れません。

 知らない町で家族に会えるのは、嬉しいことでした。一緒に買い物をしたり楽しく話しをしていると、不安やストレスはどこかへ飛んでいってしまいます。いえ、相方が出張で羽根を伸ばせたからではけっしてなく……。

 それにしても、町に馴染むというのは、不思議な出会いの力もあると思えます。
 ふらりと散歩し、一軒のお茶の直売所を通りがかりました。何気なく覗きながら通り過ぎ、食事をした後にやはり買おうと思って戻り、農家のような家の玄関をからりと開け、声をかけてみると奥から杖をついたお爺さんが出てきました。
 お爺さんは一目私達を見るや、「さっき通りましたね。ふと気になっていたんですよ」と嬉しそうに迎えてくれました。
 柱時計の音だけが規則正しく鳴っている、昔ながらの造りの店内には、お茶の大会でとったトロフィーがずらりと並んでいます。感心しながらどのお茶が手頃か尋ねたりしているうちに、奥からお婆さんがお茶を入れてきてご馳走してくれました。
 そうして、椅子に腰掛けてご馳走になりながら、庭の梅がすばらしいですねなどと話していると、いつの間にかどこから来ただのどこへ住んでいただのと話が弾み、しまいにはまた寄らせてもらいましょうと、また一つ町に知り合った人々や店が増えていく。そのたびにこの町の住人になっていくような気がするのです。

 両親が来た時、父はこの町には初めて来た気がしないと言っていました。それはここが、僧侶にして書家であり歌人でもあった祖父が、好んで足を運んでいた山が望めることにもあります。
 祖父の詠んだ句を想いながら、今は歌人でもある父もベランダから山並みを望み、歌を詠む。
 父は祖父の背中を師としてよく見つめています。
 どんな想いで最後まで一緒に行くことはなかったその山並みを見つめているのか、その気持ちを推し量ることは出来ませんが、そういう時私は、何か見えない財産を受け継いでいる父を羨ましく思うのです。財産とは、歌の心。

 帰り際、父は新しい句が出来たと言って、その山の情景を描いた歌を詠んでくれました。
 それを聞いたとき、確かに私にも、これから何十年か経って再びその山を見る時には、この句を思い出すだろうと思ったのです。 

 そして、この見知らぬ町が、また一つ、近づいてきたように感じました。
 

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